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「切腹」って逃げだと思いますか?昔読んだ何かの本に切腹とは逃げであると書いてあったような気がしますがどうなんでしょうか?

  • 質問者:武士道とは?
  • 質問日時:2009-03-08 23:02:58
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回答してくれたみんなへのお礼

ご回答ありがとうございました。何の書物であるかは忘れましたが、私も逃げでは無いと思います。当時は文化として責任の取り方として切腹をしなければならないことがあったのだと思います。現代における自殺とは違うのではないかということで質問しました。ちょっと文章が足らずだったのはすみませんでした。

本人が勝手に切腹するのは単なる自殺で逃げとも言えるが、大体は、それなりの理由(亡くなった前の主君の後を追うとか、不始末の謝罪とか)が有って、自害の許可を主君から得てから切腹する。そうする事によって、家督は嫡子に問題なく相続させることも出来き、残された家族もそれほど困らなかった。因みに許可なく切腹すれば、主君への抗議と取られ、家督の相続は認められず、お家は断絶となる事もあった。所謂、「犬死」である。なので、正式な切腹は、逃げては無く。仕来たりに乗っ取った儀式である。

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当時に至ってはこれほどの 忠誠心を表せるやり方が他にあったでしょうか?
私は、立派だと思います。
自分で、他の人のために(自分での事もありますが)自らの体に刃を入れる。こんな事私には出来ません。

子女であっても、敵の捕虜となり辱めを受けるよりはと 奥方初め 侍女 幼子までが、自害していたわけですし。

やはりそれが 日本の武家社会における独特文化であると思います。

  • 回答者:流石 (質問から3日後)
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自殺が逃げにしたら.切腹は逃げという軽い言い方では済まされない死に方です。
ですので逃げとはいえないかなと。
多量に薬を飲むなどとは違いしらふではできない死に方ですから

  • 回答者:匿名希望 (質問から16時間後)
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葉隠にも武士道は死ぬことですから逃げではないです。その当時の責任の取り方です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から15時間後)
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武士道とは「死ぬことと見つけたり」ですから
武士の切腹は逃げではありません。

  • 回答者:満月 (質問から12時間後)
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現代とは状況がまるで違いますから、単純に比較し結論付けることは無意味かと思います。
個人的には、当時の価値観に基づく「責任の取り方」だった点から、逃げではないと思いますが、これを現代に当てはめると逃げでしょうね。
個人の尊厳が軽かった時代ですからね、人の命も軽いわけですよね。

  • 回答者:やれやれ… (質問から12時間後)
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「切腹」があった当時は逃げではありませんでした

現代の価値基準で言えば逃げでしょうね

  • 回答者:匿名希望 (質問から10時間後)
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結局は自殺なので逃げだと思います。

  • 回答者:sooda (質問から4時間後)
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逃げだとは思いません。
敵に捕まって自白させるために拷問を受けなくてはいけないような状況になった場合、口を割りたくないのに割らされる・・・・・というのであれば、潔く自分の生命を絶った方が賢いと思います。
自ら生命を絶つという行為ですので、勇気がなければ出来ないことです。

  • 回答者:霧 (質問から4時間後)
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敵に捕まって、拷問されたりさらし首にされて恥をさらしたりするよりは、さっさと自分でかたをつけてしまうのですから、逃げですね。
でも考えようによっては、拷問などされて見方の情報を流さないための手段だったとも思えます。

どちらとも言いがたいですね。
私のイメージの武士って潔いものだと思ってたので、切腹も命に固執しない潔いものと思ってましたが、もし上に挙げたものの前者の場合が真実なら…ちょっとショックです。

  • 回答者:めがねっ子 (質問から58分後)
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切腹するにもいろんな理由があったわけですから、逃げだというのは当てはまらないのではないでしょうか。自分で腹を切るという行為は、すべての責任を自分で取ることであり、また切腹という行為では人は死ねませんので、介錯人が必要だったのです。想像を絶する痛みのようです。逃げで腹を切ることはないと思います。自殺や心中とは明らかに違います。
切腹によって、責任を逃れようとするのなら、それは逃げの一種でしょうが、ただ腹を切るのは本当に辛い選択ですよ。

  • 回答者:サムライ (質問から22分後)
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「自殺」と考えれば逃げですが、実際、自分ひとりで切腹できる人は少なかったとも聞いた事があります。腹を自分ひとりで切ればそれはそれなりの主張ではないでしょうか?大体は介錯でなくなったと思うし・・・
どうせ逃げるなら楽に首などを切ると思います。

  • 回答者:みかん (質問から19分後)
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覚悟を決めて死ぬんですから潔さはあります。
でも自殺という意味では逃げでしょうね。
現代の世の中では死ぬしかない場面は無いので判りかねる部分はありますが
武士がいた時代は死ぬしかない場面があったという事でしょう。

  • 回答者:taka40 (質問から16分後)
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昔の切腹は『けじめ』『覚悟』だと思うのです(武士道の美学)

でも現在でそれをすると『逃げ』だと思います。やはり生きてこその『勝ち』だと思うので。

自分のしたことに自分の死をもって終止符を打つということは昔と今とでは違うと思うのです。

  • 回答者:『生きろ!』 (質問から15分後)
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