すべてのカテゴリ » 地域情報・旅行 » 国内 » 交通

質問

終了

実際に行ったことはありませんが、地図を見ていて気になったのでお伺いします。

羽越本線の村上駅から北上し、三面川を渡る少し手前から、3kmくらいの間線路が海側と村上トンネルのふたてに分かれています。

上り線と下り線が分かれているということでしょうか。よくわかりませんが、なぜこの部分はふたてに分かれているのでしょうか。それとも、あまりたいした理由ではないのでしょうか。

  • 質問者:soodaくん
  • 質問日時:2009-07-14 09:35:14
  • 0

たいしたことないといわれればそれまでですが
複線化工事の過程で新線を内陸側に建設したためです。
在来線との並行工事が困難な立地であり
随道のほうが建設しやすいと判断された(沿線住民への影響、掘削
技術進歩のほか当時は国鉄でコスト意識も無かった)ためです。
上り下りは左側通行の原則に従っています。
同様の状況は羽越線でも第二馬下トンネルや新勝木トンネルなどいくつかありますし
他の線では上越線三国トンネルなどは技術進歩が一段と対比しやすいです。

  • 回答者:結構あります。 (質問から6日後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございます。複線化工事で内側に建設されたのですね。実際に地形を見ていないのでその場所の状況はわかりませんが、海側に複線化するのは困難な地形だということでしょうか。沿線住民への影響やトンネル掘削技術の進歩などで随道建設しやすかったということですね。

並び替え:

航空写真で見る限り、上下線に分かれているようです。wikiの記述の抜粋ですが
2000年(平成12年)12月19日 - 村上 - 間島間で海沿いを通る下り線が高波の影響を受け路盤消失、この区間で2001年(平成13年)2月5日の復旧までの間上り線を用いて単線運転を行う。
以上のことから海側が下り線でトンネル側が上り線であることが伺えます。

更にwikiの引用ですが
1924年 7月31日【延伸開業】村上 - 鼠ヶ関
1967年10月14日【複線化】村上 - 間島

推測の域を出ませんが、複線化まで43年も経てますのでトンネル工事技術が進み長大掘削・短絡化が可能になったためにそうした、と考えるべきでしょうね。

※半ば想像ですのでごめんなさい。回答がご不満であれば評価を付けず、返信を付けて下さい。削除します。

  • 回答者:通ったことは一度あります (質問から4時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ご回答ありがとうございます。海側が下り線、トンネルが上り線ですね。1967年に複線化、トンネルが完成したのですね。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る