まず前置きとして、神への冒涜ではないから、
現在、此処に、あなたの存在が在るのではないでしょうか?
神を冒涜するもの・・それが居るのなら、その存在は神の手によって
淘汰されるのではないでしょうか?
なぜならこれは、
神が存在することを前提としたうえでの質問のようにおもうからです。
そして神は、すべてに命を与えて包容する、
絶対的な存在であるはずだから。
仮に、神、という存在が在るとしたら、
あらゆるものは何らかの存在意義のもとに、存在させられているはずです。
つまり、自身の存在自体が神への冒涜だと悩む自分自身もまた
神なる存在によって、意味のもとに産み出されたものであるはずです。
そうしてそういった自問に陥ることにもまた、
神から与えられた何らかの意義が有ってのことなのだと。
絶望=苦悩ー意味
絶望+意味=苦悩
苦悩が意味を失うとき、それは
苦悩、ではなく、絶望、となって
絶望に意味が加味されるとき、それは
絶望、ではなく、苦悩
となります。
苦悩があるからそれは絶望なんだと考えるのでなく、
苦悩に意味を見出すということ、
そこから意味のある人生が始まるのだと考えます。
何を神とするか、これが問題の核心でありますけど
あなたの考える神というものは案外・・他ではなく自分自身の内
にこそ、存在し得るものであるように、おもいます。
自分が自分にとっての神:絶対的神=ジャッジ
自身の存在を冒涜と考えるか否か、それは
他ならぬ自分次第ということです。