ご質問の内容は、何度も読み返してみましたが、
・貴方は母親であり、我が子を思っての気持ちから
何らかの意見をした。
・意見の内容は、今でも間違った見解では無いという確信はあるが
お子さんが怒ったので母としては折れた内容のメールをして
もうメールしません、と書き添えた。
・お子さんのほうは、後悔しているのか反省しているか、まだ言い足りないことや聞き足りないことがあるのか、絶縁になりそうなことを心配しているかはわからないが
貴方とまだ話したいと思っている状態で父親にそれを伝えた。
・父親は、自分の見解で、貴方に対して「折れてやれないか?」とメールしてきたが
恐らくは、「まあいいじゃないか、怒らなくても」という体制。
・貴方は、メールで「もうメールしません」と書いたのでメールするのは間違いだと思っていて、メールで連絡は取れないと考えているので
お子さんとよりを戻すための第一報の方法を考えあぐねて困っている。
こういったところでしょうか?
失礼ですが、怒らないで最後まで読んでください。
質問文のイメージから察した事があります。
お子さんとこういった状態に及んだ一原因に、まず、貴方の文章構成のあり方もあると思いました。
文章って、誤解を招くことが多々あります。
私も偉そうなこと言えない拙い文章で恐縮ですが
この質問文に、まず冒頭に主語が無くて最後まで一度読んでから、理解するためにもう一度読み返し、内容から察して読み返すという作業が必要でした。
意味を把握し辛いのです。
お子さんも、事の発端になったメールを見たときに、書いていることで言いたい内容を微妙にニュアンスを違えて読み取ってしまった可能性を感じたのです。
更に、貴方が返したメールですが、文面が一部書かれる「もうメールしません」と書きました。とありますよね。
親子関係でありながら敬語口調で、しかも、激怒された後に敬語口調を使われて
「もうメールしません」では、
まるで見た目に「売り言葉にか言葉」的な感じに見えますよ。
怒っている相手への敬語口調での文章は、喧嘩を売っている、あるいは怒ってるんだぞという気持ちを表わしたように取られてしまうものです。
貴方は、自分は間違っていないと思いながらも、母として折れてやろうと考えてメールを返したのですよね。
その効果を発揮できなければ火に油を注ぐだけになってしまいます。
「そっかぁ~、タメを思ってついつい書いてしまったのだけれども、余計なお世話だったかなぁ?ごめんねー」
のような柔らかい書き方で返ってきてこそ、否のある側でありつつ引っ込みがつかないであろうお子さんも、逆に「いや、こちらこそ大人げなかった」などという内容で折れることができるのではなかったのではないでしょうか。
今からでも、遅くは無いと思います。
お子さんと貴方は親子ですから、いくら子供側が怒っていて意固地になった状態ででも
「メールしません」なんて書いた後ででも何も気にせずにメールをしても良いと思います。
一旦言ったからには金輪際しない!などという姿勢は、逆にトゲがあるように感じるものです。
この状態から、いきなり電話で話すと感情が盛り上がって悪化も想像できるので
メールでワンクッション置いて相手の出方を見てからのほうが良いと思います。
柔和な態度でもって
気楽にメールで気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。
その時も、書き方ですが、やはり堅苦しい文面では無く
さきほど例に書いた風なくだけた感じの書き方のほうが相手には安心感を与えて良いと思います。
生意気なことを書いて失礼に当たればすみませんでしたが
いくら良いことを教えても、相手が誤解すると無意味どころか喧嘩になってしまうことがあるので、そこをお伝えしたく、長々と書いてしまいました。
*誤変換を訂正するため、削除後再投稿しました。
ご迷惑おかけしました。すみません。
===補足===
お返事拝読致しました。
ご環境がそういう事情ではないかと薄々思っていました。
事の発端になった言葉は、
まさに母としての、他の誰もが差しさわりを避けて言わずにおくが感じる心配を話したという言葉だったのだと感じます。
有頂天になっている時の人という生き物は、得てして勢いを止める言葉に過反応し逆上しますよね。
折角の言葉に耳を傾けずに怒ったお子さんですが
苦言耳に届かないもの、されど心の端に必ず、ひっかかりという形で記憶として残るもの。
そのひっかかりが、いずれその人を救う、大海の中の小島として役立つ時が来ると思います。
その場では憎んだ苦言も、いつか土壇場という窮地に追い込まれ溺れそうなとき
藁をもつかむ人の目に、藁ではなく確かな船を教える糧となるのだと私は思います。
貴方がお子さんを思って言ったことばは決して余計なひとことでは無いと思うんです。
まして、その言葉が「悪い」なんて思うことは無いです。
ただ、現状ででは、「折れてやって仲を修復」する作業途中ですね。
母親ならではの、父親では足りない繊細な思いや感じる事を教える人は貴方しかいません。「おば様」ならたくさん居ても、他人では言えないですしね。
まずは貴方とう、お母さんという
この世でたった一つの安心な大船との連絡ルートは切ってしまっては
お子さんにとっては大変な損失です。
修復するということがまず大切なので、悪いと思うとすれば、
ただしい意見でも、時とタイミングをはずしたことでしくじった、ということかもしれません。
よきアドバイスも
相手にそれを受け止める器がまだできていない場合、聞き入れる方法でなければ無意味になっちゃうんですよね。
そこをお子さんの性格などからうまく見つけてお子さんに合った方法で、貴方の気づいたことを伝える工夫は必要になってくるかと思います。
しかし、私ならば、貴方と同じ立場になったとすれば
調子にのっている我が子で、明らかに危ないなと察してしまっていても放っておきます。
社会でもまれて成長するって、そういう試練を乗り越えてこそ培われると思うのと
たとえものすごく困ることになろうとも、自分がしたことに自分で責任をとり、それでだめだった、としょげた時に帰れる港であろうと思うわけで。
いつかは自分は先に死ぬので苦労は、修復がきく間、若ければ若いほど楽です。
自分は、弱って助けを求めにきた時のためにいつでもゲートを空けておいてやるよという体制を子供に感じさせてやる方法を選ぶ理由はこのあたりです。
逃げ場があると、辛くてどうしようもないときにやり過ごせますからね。
素敵なお母さんへ 鬼ばばぁより^^