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質問

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江戸時代・の歴史について質問です。江戸幕府への不満がたまり、外国の動きを追い払ったのはなぜですか?詳しく教えてください!!

学校で、歴史について疑問に思ったことを調べなければいけなくて><お願いします><

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外国を打ち払おうとしたのは、米国を始めとする諸外国が日本をあわよくば占領して植民地にしようとする動きを察知したからです。

また江戸幕府への不満とは、それを満足にできない、米国に脅されて不平等条約を結ばざるを得なかったところにあります。

江戸幕府では日本を守れないと感じた人が多かったと言うことです。

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尊王攘夷運動だと解します。調べてみると。尊王攘夷運動は、「文久から元治時代(1861~1865年)にかけて盛んとなった思想で、江戸幕末期の革命の旗印となった政治理論・運動のことである。 そもそも尊王攘夷とは、尊王論と攘夷思想が結びついたものである。『王(天皇)を尊び、夷(外国)を攘(はら)う』という意味であり、尊王論も攘夷思想も江戸時代を通じて存在していた。当初、この尊王攘夷論は幕府が天皇尊崇の姿勢を示し、攘夷を外交の基本方針とすることにより、鎖国維持や幕藩体制の再建しようとする目的で説かれたものであり、討幕をめざすものではなかった。当時、欧米列強の東アジア侵略が進み、アヘン戦争をはじめフェートン号事件やゴローニン事件といった外国との紛争が起こったため、江戸の天下泰平の世の中(鎖国体制下の社会)を邪魔されたくないと「攘夷」運動が活発化していた。そして1853年、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令官ペリーが来航し、『攘夷』と『尊王』が一体化した国家体制の改革思想へと変わっていった」ということです。(参考文献は下記です)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E7%8E%8B%E6%94%98%E5%A4%B7

  • 回答者:研究者 (質問から3時間後)
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諸外国が、江戸の幕府を日本の正式な政府だと思って、将軍を国の代表である「大君」と呼んで、そのように扱ったのです。幕府の力が強い時にはそれで良かったのですが、250年も徳川幕府の支配が続いて、幕府の力が弱まると、不満を持った咯藩の下級武士達が、京都の天皇を担ぎだして、幕府は本当の日本の代表ではないと言い出しました。天皇は外国人等見た事も無かったので、外国などは打ち払ってしまえと言いました。それで、天皇を担いだ武士達も外国人は打ち払って、鎖国を続けようという運動を起こしました。これが尊王攘夷(そんのうじょうい)運動です。

  • 回答者:かりょうびんが (質問から39分後)
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日本を植民地化させてはならないという事で追い払った
隣国の「清」の二の舞はごめんだという感じがしたはず
幕府は「通商条約」を結んだ
これでは日本は属国になってしまうと考えた
しかし、その後は長州藩にしても実際「外国」と戦って
力の差は感じた

  • 回答者:封鎖尾 (質問から30分後)
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