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質問

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言葉を教えてください。
「信じる・信じない」を一言でいう言葉がありましたら教えて下さい。

「多寡」は「多いことと少ないこと」ですし、「彼我」は「相手と自分」です。
それと同じように、「信じる・信じない」を意味する言葉を教えて下さい。

===補足===
「信疑」は「信ずることと疑うこと」ですが、疑うことと信じないことはイコールでしょうかね。

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2009-11-18 14:24:50
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信心不二・・・・信じることも疑うこともあり常に同じではいないという風な意味合いではこれだと思います。

半信半疑・・・半分信じていてどこかで疑っている状態ならば、こちらの方かな?と思います。

私の頭では、これしか浮かびませんでした。

補足のほうですが、それこそがご質問の回答になっているような適切な言葉ではないかという気がしました。
疑うことと信じないことは、私の受ける感じででは、イコールではないと思います。
疑うという言葉のほうは、私の感じることではニュアンス的に察するに疑うことを主体にしているようにとってしまいます。
信じないのほうは、信じそうになる気持ちが奥に含まれているけれど、経験などから考慮しての
敢えて信じないでおこうという何らかの意識が感じ取れます。

===補足===
こちらこそ、丁寧なコメントを頂きありがとうございます。

私も「言葉」というものにとても興味があるひとりです。
言葉は使い方やその時の心情がどうあるかなどでも、音としては全く同じく耳へ届くものが心へ届く時に、意味合いでは正反対だったり微妙な受け取り方などが起こることもあります。
自分や相手のの解釈のし方、性格の違いで、失言と思って焦ったときに相手が喜んでいたり、その逆でとんでもない誤解をまねいて傷つけたり。
みんな解釈は違いますし何が正しいか、答えは気持ちを汲み取りながら話すお互いの中にだけあるのかも知れませんね。

こうやって質問をたてていただけたことで改めて言葉の意味合いについての大切さを感じました。
できるだけの正確な理解と、人の心の中にある使い方の意味とを
みんなが考えて話すことができたなら、少しは世の中住みやすくなるのかもしれません。

  • 回答者:ニュアンス (質問から18分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

はっきりとした方向性を持った意志として「信じない」であれば、やはり私も「疑う」とは違うかなと思っていました。
このあたりの解釈がどうも自分のなかであやふやだったようなので、このような疑問を持つに至ったわけです。

なにはともあれ、御丁寧に教えていただきましてありがとうございます。

不信を一文字で表す単語がないので,多寡とか多少のような二文字の単語は思いつきませんでした.

単語としては「信不信」となると思います.
これが広辞苑に載っているかどうかは知りませんが,「我輩は猫である」の中に
「信不信,浄不浄を問わず..」という用法があったと思います.

文庫本など現代語文体に書き下ろしたものだと,「信・不信,浄・不浄を問わず」と中黒が入っているかも知れません(ちゃんと確認してませんので間違っていたらごめんなさい).

===補足===
補足にある,「疑うこと」は一般論としては「不信をもつこと」であり,「信じないこと」とほぼ同義に用いる場合もありますが,すなわち宗教や信条も含め,「疑う」は「全く信じていない」,「ちょっとは信じる部分もあるが,大半は信じていない」,「殆ど全部信じているけれども,僅かに信じていない」という意味のどの場合にも適応出来る言葉でしょうし,「信じない」は「意思をもって信じていない」意味になりますので,同じではないと思います.

  • 回答者:匿名さん (質問から13分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

自分のなかでばくぜんとしていた考えがかなり明確になりました。
たしかに、信じないことは「不信」ですから、信と不信を合わせて二文字になる言葉はなくて当然でしたね。
「多い・多くない」は「多い・少ない」と同じですから「多少」になりますので、この考え方にのっとって「信じない」を「疑う」とみなせば「信疑」で十分ですね。

御丁寧にありがとうございました。

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