何か不都合が起きた時に何かのせいにしないで受け止めてしまうことだと思います。
自責の念が強いと精神に負担がかかるとか言いますが、それは違うと思います。
例えば、誰が見ても相手が先に悪くて人とのトラブルがあるとき、
相手も悪いからですが
自分は「悪い」に対してどう対処したか?と考えてみると、必ずトラブルに達しないで治まったはずの態度が他にあったと気づきます。
相手は変えられませんが自分の対処方法は変える事ができます。
生きていくと必ず他者と関わるので必ずトラブルは起こります。
そのたびにストレスがきますよね。
それを少しでも軽くすると楽になるので、穏やかな心でいられるという連鎖みたいなものが生まれ、次第に穏やかな心と安定した情緒ができあがっていくと思います。
人のせいにしてしまうと、いつまでも相手は悪者であり、避けられる相手ばかりでもなく
回数をいろんなところで重ねていくうちに自分の周りには悪者ばかりがあふれかえるという嫌な環境になっているんですよね。
私は、本来傷つきやすく過敏症で、すぐにムカつくほうです。
でも、あるとき、体を壊して入院したとき
たまたま同室になったろくに耳も聞こえないおばあちゃんが教えてくれたのが上記のことでした。
おばあちゃんは、耳がほとんど聞こえないのですが
「悪口が聞こえないからニコニコしてられるんだよ。楽なもんさね」と言いました。
「できないこと、うまくいかないことのほうが多いけれど非難されても聞こえない。
あんたも流しなさい。そして自分で決めなさい。よそ様は自分のことしかどうせ一生懸命考えてはいないし、人のことなど良きも悪しもすぐに忘れる」
神経症の私にとって、これは仏様の声かと思うほど大切な言葉に聞こえましたね。
おばあさんっていう生き物は、迷惑ばかりかけるし嫌いだったんです。
でも、このとき仏様ってこういうのだと感じ、
同時に、嫌な人でも尊敬すべきすごい面もあったりするんだなとか考えるようになり
知らない間に誰と関わるときも、まず自分の否を探して相手の否も同時に考え
良い面もあるはずの相手に対して切捨てるような行動をとることにもったいなさを感じるようになっていました。
まだまだ過敏症は治りませんが、まず自分をよく見つめるという自分探しを継続していくことで穏やかな人間になっていこうとしているところです。