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京都御所には、「左近の桜」「右近の橘」が植えられていますが、もともとこの桜は梅だったと言われています。
なぜ、桜から梅になったのでしょうか?

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2010-01-30 16:37:34
  • 0

平安時代村上天皇の時代、京都御所には「左近の梅」が植えられていました。
ところが御所で火災がおこり、その梅の木も倒れてしまったのです。
天皇はその梅の木の代わりに、かの有名な紀貫之(きのつらゆき)の娘の梅を献上させました。
その時、娘は歌を詠んだのです。

「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問わば いかが答えん」
(訳)天皇陛下のご命令でしたら、この梅の木を献上いたしますが、この梅の木にやって来るウグイスに「私の宿はどうしたの」と聞かれたら、私はなんと答えたらよいのでしょうか。

それは梅の木との別れに対する、悲しみ歌だったのです。
この歌を聞いた天皇は心を打たれ、梅の木を娘に返すことにしました。
そして梅の替わりに桜の木が植えられ、それ以降「左近の桜」となったのでした。

こちらより↓
http://www.akagi-foods.co.jp/-site-/20_ume/trivia.htm

  • 回答者:とくめい (質問から40分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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仁明天皇の承和年間に梅から桜に代えられたということです。背景には、貴族および庶民の間で、大陸的な観梅の風習から日本独自の花見が盛んになったことが考えられます。いわゆる国風文化のあらわれのひとつといえるのではないでしょうか。

  • 回答者:匿名 (質問から38分後)
  • 0
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

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