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スポーツ選手などが最近「皆さんに感動してもらえるような」云々と
抱負を述べたりしますが、違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

感動を売り物にするのはエンターテイナー(俳優とか歌手とか)で
スポーツ選手はちょっと違うんじゃないかと思います。

プロのスポーツ選手はお客さんを喜ばせるのも仕事の一つですが、
喜ばせることを一番に考えるのではなくて、
彼らのプレイそのものが結果として
客を喜ばせることになっているのだと思います。

それをアマチュアの選手(アマチュア精神で行われるオリンピックや高校野球)
が口にすると非常にとんちんかんだと思ってしまいます。

彼らにはただ存分に力を尽くしてもらいたい。
彼らは人のため・人を喜ばせる・感動させるために
スポーツをしているというより、
自分の限界に挑む、自分自身と戦っている(競争相手はいるとしても)
その無心な姿、努力や精神力が人の心を打つのであって
感動を目的としたスポーツやスポーツ観戦は
何か違うんじゃないかと思うんですが
同じように思われる方はいらっしゃいますか?

  • 質問者:見世物
  • 質問日時:2008-07-26 18:39:46
  • 0

私もそう思います。
特に最後のくだりは、全くの同感です。

感動だけでなく、それを見てどう感じるか、何を思うか、
そんなのは見たほうの勝手であり、自由だと思います。
でも、最近はそういうのの押し付けや強制が多いですよね。
「泣ける○○!」とか。
そういうマスコミや業界の商業的作戦に毒されている人たちが多く、
スポーツ選手もそれに影響されているんだと思います。

  • 回答者:ごん (質問から25分後)
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>そういうのの押し付けや強制が多い
本当にそう思います。
「泣ける!」「感動!」「癒し!」の大安売りですね。

並び替え:

そうですね。感動というのは見ている側や記者が結果的に感じるものであってプレーヤー自ら「感動させる」なんて言っちゃっちゃあダメですよね。
あとあれも違和感です。
「家族のために・・」と泣く。
「ファンのために」って口先だけでも言えないですかね。

  • 回答者:お立ち台 (質問から6時間後)
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>プレーヤー自ら「感動させる」なんて言っちゃっちゃあダメ
そうなんですよねぇ。
がくっとなります。

同感です。
でも悲しきかな、今は自身の売込みにしか興味がない人が多いんですよ。
水泳の田島寧子や体操の田中光みたいに実に下らん名前を残すとか、芸能界に転進(したつもりになっている)という馬鹿がいるんですよ。結局連盟からも冷遇されて今や見る影もなく、消えてしまってますけど。
いまのスポーツ選手、力を試すとかそんなことはこれぽっちも思ってないんでしょう。バトミントンでも、ビーチバレーでも今後同様のことが起こるでしょうね。
ま、イチローくらいかな、真面目に取り組むと言う、そういうこと思ってるのは。

  • 回答者:ジャイルズ (質問から3時間後)
  • 1
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>芸能界に転進(したつもりになっている)という
私は彼らがスポーツ選手だから応援しているのであって
芸能人なら何の興味もないんですが、
芸能人にあこがれたりする選手もいるんでしょうね。

プロならお客さんを感動させることを前提としてプレーしても
支障ないのでは?そこを目的に自分の心技体を鍛錬して凡人が
到底真似出来ない領域にプロ選手は行き、観戦する側は感動を
覚えるのだと思います。人を感動させられる職業なんて素晴ら
しいし、モチベーションが維持出来るんだと思います。

ただアマチュアだと話は違いますね。基本的に報酬を得てプレー
している訳ではないので、無報酬の中でまずそのプレー自体を
自分で楽しみ、自己満足が得られるかどうか。人から報酬を
得る中でプレーして感動させないといけない立場でアマチュア
は常に自己鍛錬出来ているのか?

ここがプロとアマの境界線が薄れて来て曖昧になって来てますね。
プロは人を感動させるのが言ってみれば、仕事だと思います。

  • 回答者:potential (質問から3時間後)
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>プロは人を感動させるのが言ってみれば、仕事だと思います。
繰り返しになりますが、一流のプロ選手は人を感動させる「ために」
その仕事をしているのでしょうか。
いや、結果として感動になるのは理解しています。
けれど、例えばスポーツに限らず棋士でも画家でも音楽家でもいいですが、
真剣勝負中(本番)に「客を感動させるために○○しよう」と行動するのか?
ということなんですよ。

アマチュアスポーツは確かにその通りだと思いますが、プロスポーツと
いうのは金銭を取って人に見せるものです。勝つためだけに確実な手段を
取ったつまらない試合より、ファンを楽しまそうとする試合の方が良いのでは
ないでしょうか。
ただ、感動の押し売りは白けるだけというのは同感です。

  • 回答者:まささん (質問から2時間後)
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>ファンを楽しまそうとする試合
私は見ませんが、これを主眼にしているのがプロレス、じゃなかったでしょうか。

>感動の押し売りは白けるだけ
ココが要点です。
同感いただきありがとうございます。

私も違和感を覚えてました。
ただ違うのは、スポーツ選手だけじゃなく、
歌手や俳優さんたちにも同じでした。

少しの言い方の違いかも知れませんが、
歌ったり、役をやりきったり、一生懸命頑張った結果、
「感動してもらえたとしたら嬉しいです。」的な言葉だといいのですが、
まだ結果を出す前に「皆さんに感動してもらえるような…」には、
少し傲慢な響きを感じるのです。
感動を与える側と貰う側に分けられた気がして。
アーティストが、お客さんから貰う感動もあるはずだし…
わかりにくいかも知れませんが、
「感動してもらうために頑張る」のと「結果感動に繋がる」の違いです。

アーティストは、仕事だし、自信を持つのはいいことだと思うし、
決まりきった言葉になっているので、いいのだとは思いますが、
ニュアンスとして少し違和感を感じていました。

  • 回答者:伝わらない? (質問から2時間後)
  • 1
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>「感動してもらうために頑張る」のと「結果感動に繋がる」の違い
分かります。
感動はあくまで結果だ、なんですよね。
感動「させよう」というニュアンスが
>傲慢な響き
に繋がる、と私も思います。

あなたの仰るとおりだと想います。
スポーツ選手は自分の持てる力を
試合に精一杯出して戦う。
此れが第一です。
結果として、人を感動させるのだと
想います。
選手は全力を尽くす。
此れに尽きます。

  • 回答者:ジョウ3 (質問から60分後)
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>選手は全力を尽くす。
>此れに尽きます。
その通りだと思います!
その無心さが尊いと思っています。
他人受け=人の感動を誘う、
なんて余計なことを考えなくてよろしい、って思います。

その通りですよね。

選手が自分が輝けるように 自分の限界に挑戦してくれれば 見ている側は感動します。

感動を売りにしたら おかしいですよね。

  • 回答者:自由 (質問から54分後)
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>感動を売りにしたら おかしいですよね
売り物が違うだろ?
なんですよね(笑)。

そういうのって、魚で言えば尾ひれの問題でしょう。スポーツ選手はスポーツしているのだけ評価して、それぞれの選手が苦手な部分をことさら取り上げるのも逆に違和感を感じます。

それでも、昔はいかにもスポーツ選手らしい、周りに配慮しないコメントを言っていた人が結構いたのですよ。ところが、そういうことを言うと球団や局に、ヘタするとスポンサー企業にまでクレームの電話が嵐のように来るのですよ。ファンをどう思ってるのかとか、自分だけでえらくなったのか、そういう感じのクレームですね。
で、結局、テンプレートと言うのか雛形みたいなものが用意されて、とりあえずこれを言っておけって感じにどんどんなってきたわけです。
ファンのためと思ったりする部分もあるのはあるでしょうけど、プロ野球選手にしても金を稼ぐためにやってる訳で、本当の気持ちはあの3ランホームランで大もうけって言いたい所でしょう、ことに野球だけをやってきた野球バ○ばかりですから放っておいたらそういうこともいいかねません。
なんにしても、今の日本ではヘタなことを言うと「炎上」するほどの大問題になりますから、試合後が楽しみがな選手は少なくなりました。野村監督でさえあのレベルです。

まあ、どっちでもいい、スポーツは試合だけみて、そんなところまでは見なくてもいいってのが私の結論です。

  • 回答者:すす (質問から51分後)
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>それぞれの選手が苦手な部分
特定個人ではなく、私の印象では「みんなそろって」と思われるくらいでしたので。

>とりあえずこれを言っておけって感じにどんどんなってきた
これは仰るとおりなんでしょうね。
そう思えば選手もかわいそうです。言わされているのですから。
取材対応も避けられないのでどうせ言わせるなら、
管理側がもう少し上手くマネージメントしてやればいいのに、
と思います。

確かに、言葉より・・・

去年の中日の二遊間は・・・勝敗に関係なくあれだけでも料金は取れたと思います。

  • 回答者:kingofitou (質問から50分後)
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すみません、
>去年の中日の二遊間
の話は分かりません…

全く同感です。メディアがタレント扱いしている弊害です。
私は実況中に選手の家族や親族・友人などを出演させて
お涙頂戴にするのにも違和感を感じています。

白馬でもジャンプラージヒル団体で、前のオリンピックから続く
悪夢に打ち勝ち力を尽くした原田の涙
佐賀北高校の逆転満塁ホームランなどなど
結果的に感動するのであって
わざわざ感動しようとして観戦はしませんね。

反対にバレーボールは大好きなのですが
感動を押し付ける実況には心底うんざりしてます。

  • 回答者:甲虫256 (質問から27分後)
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>メディアがタレント扱いしている弊害
>お涙頂戴
>感動を押し付ける実況
本当ですね。うんざりです。
これを今はNHKもやってますからね…

NHKの「ことばおじさん」で、ちょうどそのことについて言ってました
(「感動を与える、もらう」という表現のことです)
http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2007/08/0806.html
見世物さんが何かおかしい、と思われる感覚は言葉の使い方からも来てるんだと思います。
確かに、感動はやりもらいするものじゃないですよね。

昔はそれほど感動、感動言ってなかったような気がします。
単に面白いか、すごいか、でしたよね。

昨今の、特に民放のスポーツ放送は、「無理やり感動しなきゃ、させなきゃ」
みたいな雰囲気があって苦手です。
天邪鬼な意見ですみません。

  • 回答者:ぼやき (質問から23分後)
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>「無理やり感動しなきゃ、させなきゃ」みたいな雰囲気
これこれ、これですね!
私も苦手で更に不愉快なんですよ…
ぼやきさんが天邪鬼なら私もそうです。

私もそう思います
感動はその選手のそのスポーツへの
情熱や意気込み その姿勢から
感じるものです

選手自身が言葉にするのは違うと思います

  • 回答者:でも がんばれーー (質問から13分後)
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>でも がんばれーー
同感です!!
でも、そのこととは別にがんばってもらいたいです!

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