ソ連のミグでしたよね、知っていますよ。
1983年9月1日の事でしたよね、確か邦人が27名乗っていて、乗客乗員全員死亡で、なおかつ機内には乗客がいない状態でした。
遺体は上がらず、乗客の靴213名分が千歳空港で公開されていますが、靴は無傷だったようです。
その事を考えれば、燃料タンクが爆発して、ボーイングの床を突き抜けたのではないかと言う話があります。
燃料タンクが爆発してボーイングの床を突き抜けたから、飛行機の機体の中に乗客が1人もいなかったらしいし、遺体は上がっていないですからね。
墜落現場付近にいた漁船第58千鳥丸船員たちの話によると、「爆発後、しばらくしてから灯油の匂いが漂って来た」と語っています。
その話から燃料タンクの爆発は、水中花火と同じような飛び散り方をしたと考えられています。
あれから27年、その事故の2年後(1985年8月)に日航123便の墜落事故が起きていますよね。
攻撃を受けたのはKAL007便、追撃したのはミグ戦闘機でした。
冷戦時にソ連側の戦闘はどうなのか、レーダーや戦闘機、その他戦争状態になった時にどうなるかと言う事を試しに旅客機を撃墜してこいみたいなノリで、付近を飛行中の旅客機大韓航空KAL007便を狙ってみたんだと言う人もいるのですが、ソ連も崩壊した今、真相は闇の中です。
日航123便(1985年)の事故を知らない人が今日航に入社している時代です。(大卒ですぐに入社していれば、1988年頃生まれの人が入社してもおかしくないですから)
この事件を知らない人も今は立派な社会人、時の流れは事件を風化させてしまうようですね。
合掌