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明は倭寇の禁止を求め、入貢を促したが、日本は拒否した。また、1401年義満は、明に対して国交を要求し、明はこれにこたえ朝貢形式をとる貿易を開始した。

上記文章で、入貢と朝貢という言葉の意味がよくわかりません。
入貢は、外国から使節が貢物を持って来ることと辞書に載っていましたが、この場合は明が日本に対して貢物を持ってきたのでしょうか?
朝貢は日本が、明に貢物をさし出したのでしょうか?
意味を教えてください。
よろしくお願いします。

  • 質問者:hyo
  • 質問日時:2010-09-12 22:11:19
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俗っぽく言えば「仁義を切れ」ですね。国際版参勤交代のようなものです。将軍が明で大名が日本。「入貢」は迎えるほうの言い方(挨拶に来させる)、朝貢形式は上下関係が明確な場合の「御伺」とでも言ったらいいでしょうか。国(王朝)同士のお付き合いですから、手ぶらと言うことはなかったと思いますが、貢物の内容よりも出向く(出向かせる)ことに意味があったのです。
この前提には中華思想(支那が世界の中心で、周辺国はその従属的立場)があり、日本を含む周辺地域がそれを受け入れていたことです。儒学(朱子学)の影響です。
これは現在でも尾を引いており、日本は中華思想に安易に理解を示していることで自分の首を絞めているといえそうです。

  • 回答者:如是我聞 (質問から21分後)
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この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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