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皆さんは鉄砲伝来にまつわる、この悲恋物語を、どのように感じますか?

感心な娘だと思いますか?あるいは父娘の絆を感じますか?

◆「若狭悲恋物語」/西之表(にしのおもて)市のサイトより
http://www.city.nishinoomote.lg.jp/histry/wakasa.html

 鉄砲伝来にまつわる女性と語り伝えられている若狭は,鍛冶工・八板金兵衛清定の娘である。

 清定は天文12年(1543年)に第14代島主・種子島時堯(ときたか)の命によって,ポルトガル人から購入した鉄砲の国産化に日夜苦心していたが,鉄砲の銃身の底を塞(ふさ)ぐネジ止め部分の構造がわからずポルトガル人に尋ねた。

 ポルトガル人は娘の若狭が嫁になれば教えるという返事であった。

 清定にとって国産鉄砲の完成は島主の至上命令であり,また自分の悲願でもあったが,娘を南蛮人の嫁にすることは実に辛いことであった。

 娘の若狭にとっても当時としては考えも及ばぬことで,父の仕事の完成との板ばさみになって迷い苦しんだあげく,意を決してポルトガル人の妻となった。

 このため清定は秘法を学び取ることができ,こうして種子島銃が完成したのである。

 八板家系図に

「女子 若狭 大永7年(1527年)4月15日生まる,母は楢原氏の娘。

 天文12年(1543年)8月牟良叔舎(フランシスコ)に嫁ぎ蛮国に至る

・・・・・・天文13年蛮船(ポルトガル船)に駕(が)し(=乗り)来たり父子相見る。

 数日して若狭大病にて死亡たると詐(いつわ)り,棺槨(かんかく=ひつぎ)を当てて殯葬(ひんそう=死者を仮に納める)す,

 蛮人これを見て涙を流さず」

とある。

 若狭実在の傍証の史料すらないが,鉄砲製作の悲願達成に苦悩する父のため,わが身を異国人に嫁したが,父母を思う心は募り,それを歌に詠んでいる。

 「月も日も 日本(やまと)の方ぞ なつかしや わが双親のあると思えば 」

(月を見ても太陽を見ても、日本が懐かしく思える。 あそこに両親がいると思えば)

 若狭悲話は鉄砲製作という難事業を鮮明に印象づけるとともに,父娘の絆を題材とした生まれるべくして生まれた伝説である。

 資料「種子島の史跡」徳永和喜、「西之表市の観光豆知識」

  • 質問者:星野 美香
  • 質問日時:2014-08-02 04:05:23
  • 3

(政略結婚やお見合いがざらだったろう時代)

>若狭大病にて死亡たると詐(いつわ)り
嫁さん死んだとか騙されるポルトガル人がかわいそう

>蛮人これを見て涙を流さず
生きてると気付いてたのかも



>感心な娘だと思いますか?あるいは父娘の絆を感じますか?
両方思わない

  • 回答者:あまのじゃく? (質問から55分後)
  • 3
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こんな事があったんですね。初めて知りました。
親としては複雑な気持ちでやりきれないです。

  • 回答者:匿名 (質問から7日後)
  • 3
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初めて知りました。感動的ですね。
感心な娘だと思いますし、父娘の絆も感じます。

しかし古文書って、難しい言葉が使われていますね。
元のサイトを見たら、難語や短歌の解説は載ってなかったので
ビックリしました。
質問者様が分かり易くするために、付けて下さったのですね。
ありがとうございます。

  • 回答者:脇田 真弓 (質問から7時間後)
  • 3
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このようなことは 幾らでもあるのでは!

親の借金や 事業を継続させるため・・・

表に出るか 闇から闇に。

今でも 何処かで・・・

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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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