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質問

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言葉刈りについての質問です。
比喩的表現を用いることは悪いことでしょうか?
「手も足も出ない」「目もあてられない」このような表現をすると、必ず障害者を
引き合いに出す方がいます。
でも、これらはそのままの意味ではなく、判り易いように比喩として用いられているに
過ぎません。
それを額面でしか受け取れない人が増えたのは読書量の低下が関係してきている
のではないかと推察しています。
障害者を貶める目的で使用しているなら話は判りますが、そうではなく、判り易く比喩と
して用いるのであれば許されると思います。
このような使い方が嫌いなら、それはそれで自分は使わないようにすれば良いだけで
規制しようという動きは、ある意味憲法違反ではないかと思うのですが
皆さんはどのようにお考えでしょうか?

人間生きていれば他人の言葉に傷つかない人など存在しません。
なので「傷つくから」は理由にはならないと思います。
比喩を用いた文芸作品を身障者が訴え、それを司法が認めたという話も聞きません。
拠って「傷つく人がいるから」のレスはお控え下さい。

  • 質問者:Sooda! ちゃん
  • 質問日時:2008-11-16 22:39:09
  • 4

回答してくれたみんなへのお礼

問題が問題だけに、これ程多くの方がご賛同下さるとは正直思っておらず
大変心強く感じました。
「刈り」ではなく「狩り」でしたね。失礼しました。
掲示板を読むのが好きなのですが、議論をしている途中で脈絡もなく
「障害者への差別だ」と言い出す人を目にしたりします。
また、その言葉だけを取り出して、スレッドやHPで批判する人もいます。
でも大事なのはその言葉を操っている人が何を言いたいのか?であると思います。
比喩はより理解を深めるために有効な表現方法です。
「自主規制」の言葉に比喩が追いやられてしまっては、益々文字だけの
やりとりに勘違いや過誤が生じることを増やしてしまうように感じます。
また「表現の自由」をおざなりにしているとも感じます。
他の者の自由(権利)をおざなりにする気風は必ず自分に返ってきます。

脈絡もなく持ち出す人は身障者を持ち出すことで優位性を保ちたいのだろうと
思います。
という事で常々感じていた同じ思いを表明して下さった方をベストとさせて頂きました。
貴重なご意見を多く頂き大変参考になりました。
ありがとうございました!

私も常々同じことを思っていました。
どうしてそんなに神経質に言葉狩をするのかわかりません。
それを言うことによる優位性?
自分以外の他人が言葉にたいして鈍感だと言いたいだけのような気が。
言葉だけ狩ったって差別はなくならないですよね。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から2時間後)
  • 3
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言葉狩りってのが正しいのかどうかはわかりません。
わたしは、自身としてなるべく使わないように心掛けています。
健常者であり、障害を持つ方がどう感じるかわかりませんので、少なくともそういう方が見える場では絶対に使いません。
それは、わたしがそう思って個人的にしていることであって、他人にも勧めるとか、押し付けるとかするつもりありません。
ただ比喩的な表現で言葉として定着しているものの言い換えはとても難しいです。
いろんなものありますからねぇ。言い換えようとすると微妙なニュアンスが伝えにくかったり。
障害関係以外にも、「めめしい」、「ばかちょん」とか語源知らずに使う場合ありますしね。
やっぱり狩るのはいけないかなぁ。似非同和にもつながるし。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から17時間後)
  • 1
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言葉狩りはどんな場合でも言論の自由を排する行為です。
障害者などに直接使われるのであれば、侮辱なり名誉毀損なり、また別の罪です。
規制は真っ向から憲法否定です。
自由や平等よりも利権や優遇が優先されます。
どんな言葉であれ、傷つけようと思えば傷つけられますし、その逆もあります。
規制しようとする集団こそが、常に自分たちが相手を差別的に見て心で侮辱していて、その自分たちを基準に考えて全ての人は言葉を暴力的に使うと思いこんでいるのでしょう。
言葉は使い方次第だということすら知らないのでしょうね。
それに規制したところで別の言葉がその言葉に成り代わる、いたちごっこになるだけでしょうに。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から14時間後)
  • 0
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「手も足も出ない」「目もあてられない」と表現されて、障害者と思い浮かぶかと聞かれたら、私は思い浮かびません。

引き合いに出される方は、文章の前後を考えずにそのような言葉だけを重視されてるのでしょうか。
あるいは、心の奥底で差別的な考えを持っているのでは。
それとも自分は、障害者の立場に立って(障害者の代わりに)反論してるとでも言いたいのかな。

傷つくから・・・・、
勝手に障害者を引き合いに出してる方のほうこそ、傷つけてる様な気がします。

  • 回答者:respondent (質問から8時間後)
  • 1
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「手も足も出ない」「目もあてられない」このような表現をすると、必ず障害者を
引き合いに出す方がいます。 」

それはその引き合いに出す方がおかしな考えですよ。
障害者を引き合いに出すと言う事が全くナンセンスというか.言葉の意味を理解していないだけです。

それらの言葉で傷がついたと思われる言葉ではないので..誰でも使う比喩であり..
言葉の理解度に欠けているとしか言い様がありませんよね。

  • 回答者:respondent (質問から3時間後)
  • 0
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「表現」ということであれば、勝新太郎の「座頭市」シリーズを見れば
言葉狩りから、いじめ、弱肉強食、弱いものはどうやって生きてゆくか、
そういうものがよく伝わってきますね。いまどきの化学繊維の和服なんか
着ていませんし、風景も昔のままで本当に泥臭さたっぷり。

ちょっとコレは・・・という言葉もたくさん出てきますが、現代では
言葉を隠してこっそり無責任で重大な罪を犯している、全体で
黙認し合っている、そういう対比が感じられます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
  • 1
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>「手も足も出ない」「目もあてられない」このような表現をすると、
>必ず障害者を引き合いに出す方がいます。

本当ですか?
だとしたら、その人達は、一体何を勘違いしてるんでしょう?

 「両手両足を縛られて、手も足も出ない」

とか、

 「悲惨過ぎて、目も当てられない」

とか、
使えない?
小説なんか書けませんよね?

>傷つく人
って?
その人の勘違いで、勝手に傷つかれても、こちらには、責任も無ければ、賠償の義務もありませんし、むしろ、言い掛かりでしか無い。
仰る通り、国語力の低下の問題であり、教育の荒廃の問題です。
言葉刈りですらありませんよ。

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私も、日頃から疑問に思って居る事です。身体的特徴の比喩だけでなく、日本語そのものが、おかしくなりつつ有ります。日本語で言うと、差別だけれど、横文字で言うと、差別じゃないと言う言葉益々増えるて居るでは無いですか。直訳すると、同じ意味でも、英語で言うのは問題無しみたいな風潮も、同じ日本人として、もの凄く違和感を感じますし、近年益々、日本語の表現力が乏しい人たちが、増えている様にも感じます。御陰で、外国人が聞いたら、驚く様な言葉が、日本では、それが正しいかの如く使われているのは、私には、納得出来ません。

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心底馬鹿馬鹿しく思います。

障害者の「害」の字を平仮名にしろというのも同じです。
ブラインドタッチという言葉が使われなくなったのもそういう事が原因らしいですね。

言いがかり、被害妄想ともいえるような文句をつけて言葉を狩り、
極端な「配慮」を人に強いるのが
「思いやり」や「やさしさ」だと考えている人間もいるようです。

結局は日本人の「良い人に見られたい」という歪んだ欲望と
それを利用して好き放題やっている人間のせいなのでしょうね。

少し前に流行ったホワイトバンドにしろ最近のエコにしろうんざりです。

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過剰に反応しすぎですよね。
別に障害者を傷つけているワケではありません。
ごく一般的に世間で使われている言葉です。
妙なコンプレックスで劣等感を持って
傷付けられた。って・・・
じゃあ 何を話せばいいんですか? って聞きたくなりますよね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から59分後)
  • 0
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文学的・比喩的表現をそこまで問題にする方は、想像力が足りないとしか思えません。
表面上の言葉を問題にするのではなく、文脈上の不愉快な表現があったとすれば指弾されても仕方がないでしょうけれど、規制すると言う動きは間違っていると私も思います。
身障者が不快に思い、それで声を上げるのならばともかく、過剰に反応し差別的表現だというレッテルを勝手に貼り付けるのは健常者の思い上がりとしか思えません。それが逆に差別であるといっても過言ではないと思います。
日本人の活字離れが叫ばれているのは知っていますが、もう少し国家として国民として、良質な読書をする風潮を作っていけないものかと憂います。

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国語力の低下は嘆かわしいものですね。
最近気にしてなかったので「手も足も出ない」や「目もあてられない」が、差別表現に「されている」とは知りませんでした!

「言葉刈り」ではなく、「言葉狩り」と言いたくなる事態ですね。
狩人達のやりたい事は、差別をなくすことではなく「言葉を狩りたい」だけですね。

全くもって無意味です。
ちなみに私の義父は散髪屋さんですが、その昔は「床屋」と言っておりました。

ところがある時、ある団体が「それは差別表現だ」と言いだし、協会の方でも「散髪屋」もしくは「理容」と言いだしたそうです。

義父は自らを誇りをもって「床屋」と称してした人なので、この名称変更こそ「差別」あり、面白くないとこぼしていました。

言葉狩りで起きるのは、意味のない差別の再生産である気がします。
本当に狩りが必要なにのは表面上の言葉ではなく、差別を良しとする心であるべきです。(別に思想統制せよと言う意味ではありません、私を含む社会を構成する人々が、自らの心を見つめ直すと言う意味です)

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言葉狩りの類はいつも当事者以外が勝手にやるものですからねぇ。
大抵当事者にとっては「ありがた」すら付かないただの迷惑だったりと。
有名な大阪の一家とかまさにそんな感じです。

ちなみに、この手の言葉狩りは実質はさておき形としては「自主」規制なんですよね。
上手いと言うか汚いと言うか。

  • 回答者:respondent (質問から55分後)
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言葉狩りはそこまで言ってるのですか……<手も足も出ない
このままだと身体の名前が入って言葉は全て差別用語になりそうですね。
想像力の低下による安易な発想と「全て自分に向けられた言葉」だという自意識過剰によるものではないかな、と思います。
ドンドンこうして言葉を狩られて、貧困な語彙しかなくなるのでしょうか。
日本語のよさがどんどん失われて行くような気がしますね。

誰かが傷つくのなら「太い」もダメですね。
私が傷つきます。
痩せてる、もダメですね。
太れないと悩む友達が傷つきます。
輝くもダメですね。
若ハゲに悩む人が傷つきます。
こうやっていくと話さないことが1番良くなっちゃいますよね。
過ぎた言葉狩りは悪だと思います。

実はキ〇ガイもどうしてダメなのか分からないのです。
気が違っている。
気って色々な意味があります(気持ちから性的な物まで本当に色々な意味がありますよね)、それが違っている……それでなんの問題があるんだろう……と小説などで別な表現を使われている時に思います。

今の言葉狩りを見ていると過剰すぎて怖くなります。
何かあった時にお金をとるための物かしら?なんて。

  • 回答者:respondent (質問から48分後)
  • 2
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全く同感ですが規制しようという動き、事実がある事は知りませんでした。

昔から使われてきた日本語なのに…。

障害を持つ方が不快になっているかさえ疑問です。
ただ、障害を持つ方を引き合いに出すと正論になり易いと考えているだけかも
知れません。

明らかに差別用語は別として、過剰に反応し、得をする方がおられるのかなぁ?
とさえ思います。

TVとかでは自主規制で放送禁止用語などを取り決めていますが
未だに分からないのが「片手間に~する」がいけない事です。
少しでも障害を持つ方に関連する言葉が規制されると本当に何も言えなくなりますし
言葉の文化がなくなる様に思います。

  • 回答者:respondent (質問から46分後)
  • 2
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家族に障害者がいますが、そのような言葉をタブーにしていません。
気を遣いすぎるのは優しさではないと思いますね。
出来ない事を手伝ったり、介助することは当たり前ですし、
それを責める事も決してしませんが、普通に接しています。
いくら家庭で気を遣っていても世間での風当たりは強いと思いますし、
そういう意味でも変な気遣いはせず普通に会話しています。
周りに気遣いをされる側もけっして居心地がいいとは思えません。

  • 回答者:Sooda!ちゃん (質問から46分後)
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比喩じゃありませんが「チビ黒サンボ」論争は確か廃刊で終わりましたよね?
とても良いおはなしだったので幼稚園の先生たちが残念そうに言っていたのをこちらの問題提起でなぜか思い出しました。

なんでもかんでも人権を当てはめ、古き良き言葉を消してゆくのは惜しいことだと私は思います。

あなたがおっしゃる通り、額面でしか判断をできなくなった人が多いのが哀しいですね。
理屈だけでモノを言い、その言葉の中にある意味をよく考えることを惜しんでなんでも否定・切り捨てるのは愚かなことだと思います。

日本語の良さは、まさにその「比喩」・・・他の言葉にたとえて意味合いをぼかしつつ内面を悟ろうという曖昧さにあると思うのです。
yesかnoししかないと言われる英語にですら、比喩は存在しますよね。
頭でっかちになった新手の人類には通用しないのでしょうか。虚しいことです。

だいたい、手も足も出ないという、日本古来より在る言葉に身障者がそれを当てはめてモノ申すというのは、それこそこじつけで、「比喩」ですね。。
そういうことを申し立てて傷つくなどと言うひとは身障者でも健常者でも同じ人権を持つべきと考える上でそれに自ら反している偏った考え方だと思います。
みんな同じ人間だから、できない場合、それを助け合うということ。
それは、歩けない人に、歩ける人が足となり杖となりながら
歩ける人も歩けない人に知恵を助けられているという関係もたくさんあるのと同じように
なんでも傷つくで優位にたとうとする人がいることで
普通に暮らす歩けない人が逆に迷惑している現状もあるということに
小さなことで傷つくなどと言う人は少し考えるべきかというのが私の見解です。
うちの親は昔から歩けない人ですが、手も足もでないけど
豊富な知恵を持つ頭と口は非常に達者でいつも助けられこちらは頭があがりませんし^^
日本の言葉を大切にし子に教えるひとりであります。

  • 回答者:口は出る親の子 (質問から34分後)
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何かにつけて障害者擁護をする人というのはいます。
しかもその考え方を人に押し付けるから始末に負えない。
そういうことで気を使われたほうが障害者にとっては差別なんじゃないかと私は思います。
使わないのは個人の自由だと私も思います。が、それを他人に押し付けるのはおかしいと思いますね。

  • 回答者:とくめい (質問から33分後)
  • 4
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私は、手帳を交付されるほどではありませんが、障害を持っています。
はっきり言って、障害があるからと言って、騒ぎたてられたくありません。
騒ぎ立てた人の、その次の行動は、例外なく「こいつは障害者だ! 肉体的な欠陥をもっているぞ!」という扱いです。
だからこそ思います。
ごく一般的に使われている語句を差別用語にしようとしている人こそ、何らかの障害を持っているのではないでしょうか。
それが、己の怠慢による知識不足なのか、そのような思想を植え付けられただけなのか、そのような思想を広めようとしているだけなのか。

結果的に、差別用語だと騒ぎたてることが、障害者をクローズアップし、どのような障害があるかを騒ぎたてることで、障害者を卑しめているようにしか思えません。

  • 回答者:左半身が不調 (質問から31分後)
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「手も足も出ない」「目もあてられない」
これらは身体障害とは全く無縁の言葉と思っていました。
もしかしたら傷つく人がいるのかもしれませんね。
しかし、それらを全て取り締まられたら、何も言えなくなってしまいます。(この表現もNGなのでしょうか…)
言葉を制限するのは反対です。

私は読書量の低下と言葉狩りに関係はないと感じます。
いわゆる言葉狩りをする人は、ある程度学のある人で、自分の思想に基づいて行動している印象を持っています。

私は全く規制するべきとは思いませんが、嫌なら使わなければいいという論理は少し幼い気もします。
全く別の次元の話だと不快に思われるかもしれませんが、性的な言葉の場合に置き換えてみるとそのような理由はまかり通らないと思います。

===補足===
私の幼いという言い方が気に障られたようですね。すみません。
例えも適切でなかったかもしれません。

他人が使えば耳に入ったり目に入ったりしてくるわけですから、嫌なら使わなければいいという論理は通らないと思います。

  • 回答者:知識人 (質問から28分後)
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お礼コメント

このような議論をする上では、合法である事が前提です。
行き過ぎた性的表現は非合法です。
合法上の性的な言葉の場合には「傷つく」よりもっと論拠の薄い「不快だ」なのでは
ないでしょうか。
自分が不快なら、なんでもかんでも目の前から無くそうとする人の中に
精神的未発達さを感じます。
追記
日本には法に抵触しない限り「表現の自由」が担保されています。
なので自分がこう表現するから相手に対しても自分と同じ表現をしろ・・・は通りません。
個人に出来うることは自分だけは使わない・・・という事だけ。
他人に強制することは権利侵害になります。
(権限もないのに強制すること自体不可能ですよね)
ですから自分以外の人には「頭を下げお願いする」ことだけなのです。
そのお願いする人たちが本当に障害者を代表する方たちなら
説得力も持ちますが、関係のない人から言われても「?」です。
「嫌なら使わなければいいという論理は通らない」と回答者さんが
思うのは勝手です。思うことは自由です。
でも日本の社会は「その論理で通る社会」なんです。
それが崩れたら北の将軍さまの国と同じになると考えて良いでしょう。

枝葉末節のみにこだわり、過剰な反応をする人が多いのは困ったものです
対極的に文意を捉えられない人ほど些細なことで噛み付く傾向がありますが、
読解力に欠ける人と見て無視するのが賢明でしょう

  • 回答者:Sooda! くん (質問から28分後)
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「手も足も出ない」「目もあてられない」には障害者を差別する意識は全く入っていないと思います(^_^;)
むしろ、その程度の言葉まで障害者に失礼だと捉える方が失礼な気がします。
「規制する」だの「傷つく」だの大袈裟な言葉が出ていますけど、差別でもなんでもありませんよ。
そんな発言されているのは、健常者の方でしょう?
障害者の方は恐らく特別扱いばかりされるの嫌だと思いますよ。
もし私が障害者なら「基本的にはみんなと同じに扱って欲しい。過剰な特別扱いも差別だ」と感じます。
その程度で騒がれる方が、余計落ち込みますけど・・・。
ホントに多いのですか???

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私は左利きなので「ぎっちょ」と指摘されることがちらちらあります。
まだ差別語認定はされてないようですが、
左利きの人の中にはこの言葉を不快に思う人もいます。
私は、常に不快に思うということはなく相手がどういうつもりで発したかで変わります。

「ぎっちょなんだー!包丁とか切りにくくないのー?」⇒(なんとも思わない)
「字は右で書け!これだからぎっちょは!」⇒(怒)

これ、ぎっちょの部分を「左利き」「サウスポー」と置き換えたところで一緒です。

要するに、使う側が相手を見下してる場合、どんな言葉を使われてもそれは
「貶める言葉」になると思います。
狩っても意味ないし、余計な手間を・・・と思うだけですねー。
昔の本が出版禁止になったり、一部だけ抜かれたり、その方がよっぽど損失が大きいと思いますね。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から26分後)
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同意です。
由々しきことだと感じております。

結局、このような問題は障害者を利用しようとする不届きな連中と特定の団体などが自己の利益のためにこのような「こじつけ」をしているように思います。この行為は健常者からすれば逆差別ともとれる話で、そこでまた新たな揉め事が生まれるのを彼らは望んでいるようです。
母国語をキチンと教えない事が問題の根本であるように思います。

  • 回答者:respondent (質問から26分後)
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う~~んと・・・ピントが外れた回答になりそうな予感がしながら書いています。
障害者を障がい者と言うのと同じ感じかな?
もしそうだったら障害者本人より、自治体や福祉などの関係団体が過剰反応しているだけ
(規模が小さいのではなく、理由付けが乏しいという意味の「だけ」です)だと思っています。
自治体に関しては少しでも「差別をしている」と思われることを恐れて、
過剰防衛している、と。
慣用句を聞いて、何の関係も無い障害者を連想させるのは
私も想像力の暴走の表れだと思います。
しかしそれだけでなく、「差別をしていると思われたくない」「逆差別」も混ざったものだと思うんです。
日本は「差別されている」と声高に叫ぶ人たちに対して腰が引けてしまいます。
気に入らない言葉を取り上げても、彼らが望む世界になるわけではないのに・・・。

  • 回答者:respondent (質問から25分後)
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何がいけないのかわかりませんが・・・
傷付く人がいる以上気をつけるのは当然ですが過剰に反応しすぎでしょ?

  • 回答者:知識人 (質問から16分後)
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普通に使っている言葉です
それを差別用語となるなら、何に気をつけてしゃべれば良いのでしょうか?
反応しすぎです。

  • 回答者:お助けマン (質問から11分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

私は、差別的な意味で使わない限り、至極まっとうな意見だと思います。
お世辞にも、私は、読書量が多いわけではないですが、上記の言葉は普通に使います。
そして、文句を言われたこともありません。
そういう言葉狩りをしてる人は、読書量うんぬんより、常識が欠けてるんじゃ無いかと思います。
視野が狭いから、そういうことを、鬼の首を取ったように難癖を付けてくるんじゃないでしょうか。
だから、自分の考え方を人に押しつけ手来るんだと思います。

  • 回答者:お助けマン (質問から10分後)
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いくつかの魚の名前もそのような趣旨で変わりましたね。健常者(この言い方も駄目か?)には理解できない非健常者の気持ちがあるのかもしれません。不快を感じさせている以上、配慮はしなければならないとは思いますが、そのうち何も言えなくなってしまいそうです(この表現も駄目?)。

  • 回答者:表現の不自由 (質問から9分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

そんな言葉を差別用語として認識している風潮があることを初めて知りました。
昔から使われている言葉だし、無理やり差別用語としてこじつけている方が差別だと思いますけどいかがですかね。

  • 回答者:知識人 (質問から5分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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