ありますよ、忘れもしません。決定的な時期が三度・・・・・。
一度目と二度目は十代の時、学校で長きに渡るイジメと戦っていてもう駄目だと諦めた瞬間、心は現世から離れかけていたんです。手には何時握ったのか覚えていないカミソリ、・・・・・悲しみなんて感情すらその時はもう忘れてしまっていたのです。辛うじて救われたのは母親の呼ぶ声でした。タイミングがあと一歩遅ければ、今の私は存在していなかったでしょう。(実行はしてません!)
そして三度目は結婚して一年経った頃です。(ちなみに現在、二十代後半に入りました)子供が出来ない事に悩み出し、夫や義父母に対しても色々と複雑な想いを抱いて不信感に襲われてしまったんです。夫は長男で家の跡取り、両親は家を絶やしたくないという考えから一刻も早い妊娠を望んでいるのです。でも、それが出来ないが為に私は徐々に卑屈になり、精神的に追い詰められて発作的にまた・・・・・・(その時も実行はしてません!)
今も私達夫婦に子供はいません。最近では自分なりに気持ちの整理がついているつもりだったのですが、それでもとても危ういモノ。日々、己の心との闘いですね。
ただ一つ、私が言える事があるとすればそれはですね、自殺は他殺と同じ罪という事です。自分の命も他人の命も同じ価値のあるモノ、差なんてありはしないのです。だから自殺も殺人、許されざる大罪だと私は思います。
それでもこの現代、生きる事がますます困難になっている気がします。辛い事を一つ越えてもまた辛い事、優しくありたくとも叶わない社会は本当に厳しいですよね。だけど、それでも生きなきゃいけない。それが宿命というモノなんだと今では思えるようになりました。それを捻じ曲げる事の代償は果てしなく、自分だけでは済まない事もあるのです。
今回の書き込みだけでは抱えていらっしゃる事情は分かりませんが、死はいずれ訪れる最後の未来です。それを考え続けてばかりでは、全てが闇色にしか見えなくなってしまうと思うんです。ですから前を向いてまた歩き出せるように、心の療養というかリフレッシュというか・・・・・誰かの助力を乞うのもいいかもしれません。独りで抱え込むような事だけはお勧めできません、心が本当に疲れ果ててしまいますから。
すみません、大した事言えず・・・・・・・。