わぁ鉄道唱歌の歌詞を載せてみますね 新橋の鉄道公園に飾られた機関車
このC11292号は昭和20年2月11日日本車輌株式会社で誕生した。3年間余りの戦争で物資もなくなりつつあった時の誕生で蒸気溜、砂溜が角張ってい るいわゆる戦時型ですが誕生後すぐ山陽本線の姫路機関区に配属となり中国地方のロ-カル線、播但線や姫新線など走りまわっていた。
走行距離は108万3975㎞で最初から最後まで一つの機関区にいたのは珍しいとのことです。今回鉄道100年を記念して国鉄の協力を頂きここに設置した。
昭和47年10月14日 鉄道100年記念 港区(説明板より)
1872年(明治5年)に開業した旧新橋停車場の駅舎を、当時と同じ場所に、開業当時の外観で再現
1 汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として
2 右は高輪泉岳寺四十七士の墓どころ
雪は消えても消え残る名は千載の後までも
3 窓より近く品川の台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ山は上総か房州か
4 梅に名をえし大森をすぐれば早(はや)も川崎の
大師河原は程ちかし急げや電気の道すぐに
5 鶴見神奈川あとにしてゆけば横浜ステーション
湊を見れば百(もも)舟の煙は空をこがすまで
6 横須賀ゆきは乗替と呼ばれておるる大船の
つぎは鎌倉鶴が岡源氏の古跡や尋ね見む
7 八幡宮の石段に立てる一木(ひとき)の大鴨脚樹(いちょう)
別当公暁のかくれしと歴史にあるは此蔭よ
8 ここに開きし頼朝が幕府のあとは何(いづ)かたぞ
松風さむく日は暮れてこたへぬ石碑は苔あをし
9 北は円覚建長寺南は大仏星月夜
片瀬腰越江の島もただ半日の道ぞかし
10 汽車より逗子をながめつつはや横須賀に着きにけり
見よやドックに集まりしわが軍艦の壮大を
11 支線をあとに立ちかへりわたる相模の馬入川
海水浴に名を得たる大磯みえて波すずし
12 国府津おるれば馬車ありて酒匂小田原とほからず
箱根八里の山道もあれ見よ雲の間より
13 いでてはくぐるトンネルの前後は山北小山駅
今もわすれぬ鉄橋の下ゆく水のおもしろさ
14 はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり
雪の冠雲の帯いつもけだかき姿にて
15 ここぞ御殿場夏ならばわれも登山をこころみむ
高さは一萬数(す)千尺十三州もただ一目
16 三嶋は近年ひらけたる豆相線路のわかれみち
駅には此地の名をえたる官幣大社の宮居(みやい)あり
17 沼津の海に聞えたる里は牛伏我入道(うしぶせがにゅうどう)
春は花さく桃のころ夏はすずしき海のそば
18 鳥の羽音におどろきし平家の話は昔にて
今は汽車ゆく富士川を下るは身延の帰り舟
19 世に名も高き興津鯛鐘の音ひびく清見寺(せいけんじ)
清水につづく江尻よりゆけば程なき久能山
20 三保の松原田子の浦さかさにうつる富士の嶺を
波にながむる舟人は夏も冬とや思ふらむ
21 駿州一の大都会静岡いでて阿倍川を
わたればここぞ宇津の谷の山きりぬきし洞の道
22 鞘より抜けておのづから草なぎはらひし御剣(みつるぎ)の
御威(みいづ)は千代に燃ゆる火の焼津の原はここなれや
23 春さく花の藤枝もすぎて島田の大井川
むかしは人を肩にのせわたりし話も夢のあと
24 いつしか又も暗となる世界は夜かトンネルか
小夜の中山夜泣石問へども知らぬよその空
25 掛川袋井中泉いつしかあとに早なりて
さかまき来る天龍の川瀬の波に雪ぞちる
26 この水上にありと聞く諏訪の湖水の冬げしき
雪と氷の懸橋をわたるは神か里人か
27 琴ひく風の浜松も菜種に蝶の舞坂も
うしろに走る愉快さをうたふか磯の波のこゑ
28 煙を水に横たへてわたる浜名の橋の上
たもと涼しく吹く風に夏ものこらずなりにけり
29 左は入海しづかにて空には富士の雪しろし
右は遠州洋(なだ)ちかく山なす波ぞ砕けちる
30 豊橋おりて乗る汽車はこれぞ豊川稲荷道
東海道にてすぐれたる海のながめは蒲郡
31 見よや徳川家康のおこりし土地の岡崎を
矢矧の橋に残れるは藤吉郎のものがたり
32 鳴海しぼりの産地なる鳴海に近き大高を
下りておよそ一里半ゆけば昔の桶狭間
33 めぐみ熱田の御やしろは三種の神器の一つなる
その草薙の神つるぎあふげや同胞四千萬
34 名だかき金の鯱は名古屋の城の光なり
地震のはなしまだ消えぬ岐阜の鵜飼も見てゆかむ
35 父やしなひし養老の瀧は今なほ大垣を
三里へだてて流れたり孝子の名誉ともろともに
36 天下の旗は徳川に帰せしいくさの関が原
草むす屍いまもなほ吹くか胆吹(いぶき)の山おろし
37 山はうしろに立ち去りて前に来るは琵琶の海
ほとりに沿ひし米原は北陸道の分岐線
38 彦根に立てる井伊の城草津にひさぐ姥が餅
かはる名所も名物も旅の徒然(とぜん)のうさはらし
39 いよいよ近く馴れくるは近江の海の波のいろ
その八景も居ながらに見てゆく旅の楽しさよ
40 瀬田の長橋右に見てゆけば石山観世音
紫式部が筆のあとのこすはここよ月の夜に
41 粟津の松にこととへば答へがほなる風の声
朝日将軍義仲のほろびし深田は何かたぞ
42 比良の高嶺は雪ならで花なす雲にかくれたり
矢走(やばせ)にいそぐ舟の帆もみえてにぎはふ波の上
43 堅田におつる雁がねのたえまに響く三井の鐘
夕ぐれさむき唐崎の松にゃ雨のかかるらむ
44 むかしながらの山ざくらにほふところや志賀の里
都のあとは知らねども逢坂山はそのままに
45 大石良雄が山科のその隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて立つは伏見の稲荷山
46 東寺の塔を左にてとまれば七條ステーション
京都京都と呼びたつる駅夫のこゑも勇ましや
47 ここは桓武のみかどより千有余年の都の地
今も雲井の空たかくあふぐ清涼紫宸殿
48 東に立てる東山西に聳ゆる嵐山
かれとこれとの麓ゆく水は加茂川桂川
49 祇園清水智恩院吉田黒谷真如堂
ながれも清き水上に君がよまもる加茂の宮
50 夏は納涼(すずみ)の四條橋冬は雪見の銀閣寺
桜は春の嵯峨御室(おむろ)紅葉は秋の高雄山
51 琵琶湖を引きて通したる
疎水の工事は南禅寺
岩切り抜きて舟をやる
智識の進歩も見られたり
52 神社仏閣山水の外に京都の物産は
西陣織の綾錦友禅染の花もみぢ
53 扇おしろい京都紅また加茂川の鷺しらず
みやげを提げていざ立たむあとに名残は残れども
54 山崎おりて淀川をわたる向うは男山
行幸ありし先帝のかしこきあとぞ忍ばるる
55 淀の川舟さをさしてくだりし旅はむかしにて
またたくひまに今はゆく煙たえせぬ陸(くが)の道
56 おくり迎ふる程もなく茨木吹田うちすぎて
はや大阪につきにけり梅田は我をむかへたり
57 三府の一に位して商業繁華の大阪市
豊太閤のきづきたる城に師団はおかれたり
58 ここぞ昔の難波の津ここぞ高津の宮のあと
安治川口に入る舟の煙は日夜たえまなし
59 鳥も翔(かけ)らぬ大空にかすむ五重の塔の影
仏法最初の寺と聞く四天王寺はあれかとよ
60 大阪いでて右左菜種ならざる畑もなし
神崎川のながれのみ浅黄にゆくぞ美しき
61 神崎よりはのりかへてゆあみにのぼる有馬山
池田伊丹と名にききし酒の産地もとほるなり
62 神戸は五港の一つにてあつまる汽船のかずかずは
亜米利加露西亜○○印度伏せ字の○○は、当時使われた中国の呼称]
瀬戸内がよひも交(まじ)りたり
63 磯にはながめ晴れわたる和田のみさきを控へつつ
山には絶えず布引の 瀧見に人ものぼりゆく
64 七度うまれて君が代をまもるといひし楠公の
いしぶみ高き湊川ながれて世々の人ぞ知る
65 おもへば夢か時のまに五十三次はしりきて
神戸のやどに身をおくも人に翼の汽車の恩
66 明けなば更に乗りかへて山陽道を進ままし
天気は明日も望あり柳にかすむ月の影
歌詞は、『現代日本文学全集37 現代日本詩集・現代日本漢詩集』(改造社 昭和4年)収録のもの。
コピペしただけですが本当に長いんですね。