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奈良時代、日本で最初の貨幣である和同開珎が造られた場所は、奈良県内ではなかったのですか?

  • 質問者:解く明係
  • 質問日時:2009-07-28 21:38:31
  • 1

回答してくれたみんなへのお礼

皆さま 回答ありがとうございました。
歴史は 難しい、ということを実感しました。

去年こんなのが
和同開珎“にせ金”の鋳型、実は種銭だったというのがありました
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081224/acd0812241124001-n1.htm
和同開珎は、文献史料などによって銅山のある山口県下関市などで生産された
とみられており今回の鋳型で作られた種銭が、こうした地方の生産工房に配られ
実際に流通する貨幣用の鋳型が造られた可能性が高まった

===補足===
1999年には奈良県明日香村から大量の富本銭が発見された
最古の貨幣が和同開珎という定説が覆りました
富本銭が和同開珎のモデルになったと言われてます
富本銭が鋳型や鋳棹と共に発見されてその製造地として特定されたのは
飛鳥池遺跡が初めて

  • 回答者:匿名希望 (質問から19分後)
  • 2
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

ありがとうございます
補足 ありがとうございます。 歴史は 変わっていきますね!!!

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鋳銭司村…でしょうか?

  • 回答者:おいでませ (質問から1日後)
  • 1
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私の記憶では天武天皇の時代に、武蔵野(秩父)で和銅が初めて発掘され、当時一番貴重とされていたので、その和銅を天皇に献上するに当たり和同開珎が秩父で作られたと記憶しています。
前のお二人の言う山口での製造は、その後 山口で銅山が発見され今で言う造幣局が出来たと習いました。

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鋳造の元となる「種銭(たねせん)」平城京で作られたそうですが、この鋳型が地方の銅生産地に配給され、大量生産されたみたいです。
下関に造幣局ー「鋳銭司」(ちゅうせんし)があったそうです。

  • 回答者:ざくざく (質問から15分後)
  • 1
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お礼コメント

ありがとうございます。 そう言えば、銅生産地で造る方が効率がいいですよね!

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