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質問

終了

死は誰にとっても怖いものだと思いますが、誕生が怖くないのはなぜですか?

死後と誕生前は、自分自身がどこにも存在しないという点において、同じ状態といえます。
平安時代には、死と出産はともに「不浄」とされました。ところが現代では、出産に対して汚い、怖い、いまわしいイメージはありません。
受精という化学反応から出産という生理現象の間のどこかのタイミングで、どこからともなく意識が発生し今に至るわけですが、今までどこにもなかった意識が、どこから突然現れたのか?その直前は一体どういう状態だったのか?生と死の曖昧な境界について考えると、有が消滅によって無に変化する「死」よりも、無からどういうわけか有が発生する「誕生」の方が、感覚的に理解し難く、一層不気味に思えます。
また、「死」と違い「誕生」の過程は、誰もが経験した過去です。しかし記憶は決して残りません。大変不気味です。
にも関わらず「誕生」には、「死」のような怖ろしさ、不気味さ、おどろおどろしさがありません。不思議です。
変な質問で恐縮ですが、推測でもかまいませんので、どなたかこの不思議を説明していただければ幸いです。

===補足===
すみません、質問文わかりにくかったでしょうか。誤解されてしまっているので補足します。
誕生するときに怖くなかったのはなぜか、という質問ではありません。
物心ついた人間が「死」と「誕生」について考えたときに、「死」に対しては恐怖を感じるのに、「誕生」に対して恐怖を感じないのはなぜか、という質問です。

  • 質問者:ハテナ
  • 質問日時:2009-08-04 18:02:53
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

何か変な質問の仕方をしたようです。もっと単純に書けばよかったのかもしれません。
補足の最後の一文以外要らなかった気がします。
質問の意味がほとんどの方に伝わっていないようなので、私の書き方が悪かったのだと思います。
このまま続けても求める回答が得られそうにないので、これで終了します。
回答してくださった皆様ありがとうございました。
変な質問をして申し訳ありませんでした。

死は目的ではなく自己の消滅、存在の否定
誕生は自己にとっては始まりであり自分の子供の誕生は生物としての目的

===補足===
生物としての目的(子の誕生と成長)を達し人間としての人生が充実すると死はそれほど恐怖ではなくちょっと未練くらいになる。
死が恐怖なのはどちらも途上の時期。

  • 回答者:dynoz (質問から2時間後)
  • 2
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

>死は誰にとっても怖いものだと思いますが、
この前提がそもそも怪しいということでしょうか。生存本能があるので自明なことかと思っていました。
誕生すること自体が「始まり」という肯定的な意味をもつから、「終わり」という否定的な意味をもつ死よりも負のイメージが少ないというのは、わかる気がします。

やっと質問の意図が伝わったようなので少し安心しました。質問変でしたか(^^;
回答ありがとうございました。

並び替え:

私は、今まで霊を何十回も見て、霊とも会話した経験のある者ですけど、私は、こう思います。
人間は、何回も何十回も輪廻を繰り返しています。
自分では意識していない人がほとんどですけど、あなたには、現世の他に前世また前々世と何度も輪廻を繰り返しています。その輪廻の間には、霊界で霊として生きています。
前世が終り、精霊界に行き、それから霊界で長い生活をし、神様から、またこの世に修行に行くようにお話しを戴きます。この世に生まれて来る方は、一人として完全な人はいません。長所もあれば短所もあります。霊としてまだまだ磨かなければいけない人は、みんなこの世に生まれ変わります。其の時に神様から、「おまえは此処を、これからの生で修行して直すように」とそれぞれ、霊魂の向上を図るような宿題が与えられます。それを、果たす為にみんな生まれ変わっていますので、生まれる時には、此処を直して、もう一段高い霊層に行こうと言う事で生まれてきますので、みんな、生まれる時は希望に燃えているからです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3時間後)
  • 0
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。

何故、死が怖いのですか。生きとし生けるものすべての宿命なのに。死は必ず来ます。少なくとも、期日が分からないだけでもありがたいことです。70歳まで生きてきて、いろいろなことがありましたが静かに死を迎えることができそうです。

===補足===
生れてから人間になるのです。生まれる前のことは人間としての自覚はありません。

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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

それは結構なことですけれども、
すみません、質問の答えには全くなっていないのですが。。

補足ありがとうございます。でも質問の答えにはなっていません。
失礼ですが、質問と補足をきちんとお読みになりましたでしょうか。
せっかく回答してくださって低評価をつけるのは申し訳ないので、終了までこのままにしておきますから、削除してくださっても結構です。
質問の仕方がわかりにくかったようで、申し訳ありませんでした。

と書いた舌の根もかわかぬうちに終了してすみません。せめてハート4にしておきます。

生まれることに
気がつかないからです。

  • 回答者:f (質問から2時間後)
  • 0
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

補足をお読みになってください。説明不足ですみません。

>誕生が怖くないのはなぜですか?

考えないからでしょう。
胎内はNEET真っ青の快適空間でしょう。必要なものは全て提供され、ただ寝ていれば良い。そこは恐怖や自然科学を学べる環境ではないと思います。
というより、「記憶」を学習する必要すらないと思います。
既に胎内から出てしまい、呼吸も食事も自力でしなきゃいけない不快な環境で暮らす我々は、その不快さを紛らわす為にロクでもない事を考えたりもしますが、胎児にはその必要性がありません。
知的活動と言っても、ストレス反応の一種です。

そう考えると納得のいく事があります。
水仙を水耕栽培すると根が太く本数が少ないのですが、地植えにすると細く網状に張り出し、本数も多いです。
努力しなきゃ水を得られないのと、ソコマデしなくても得られる。
環境の差異が能力を決めると思います。

ちなみに私は無から有とは考えていません。

===補足===
補足で書いていただきましたが、本文を読んで質問者様の一番言いたいことは理解したうえで↑の私なりの回答をしているつもりです。

知的活動と言っても、ストレス反応の一種です。

ちなみに私は無から有とは考えていません。

水仙と人間を同列に論じているつもり。

生命や知的活動を特別視する質問者様とは相容れない考えかもしれませんね。

  • 回答者:とくめい (質問から40分後)
  • 0
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
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補足をお読みになってください。説明不足ですみません。

>死は誰にとっても怖いものだと思いますが
そうですね、物心がついてますから、教育を受けてますから。

>誕生が怖くないのはなぜですか?
きっと怖かったんだろうと思いますよ。みんな必死に泣きますからね。
ただ、記憶がないのでわからないだけでしょう。

>記憶は決して残りません。大変不気味です
私なんか、毎晩のように泥酔して記憶が飛んでます。もう慣れたから何でもない。

  • 回答者:若いのお (質問から10分後)
  • 0
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参考になりました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

言うほど若くはないですよ。しかし長年の疑問でした。
誕生時に泣くのはたしか肺呼吸するためではなかったでしょうか?あれは怖くて泣いているのと違うのでは?
記憶が飛ぶのが怖いとかそういう話をしているのではないのですが。。

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