日本の場合、特にヨーロッパ諸国と比べて、社会基盤の整備が決定的に遅れている、整備が貧困である、家族制度の名残りで社会的な認知が進んでいない、法律の整備も不十分など、根底的なところに問題があります。
特に社会的な問題として長時間労働をしなければ維持できない生活、夫婦共働きしなければ維持できない家族・家庭生活。
これらは女性の社会進出という世界的な流れにより、机上の空論論議が先行し、法律だけで形を作り、社会的な基盤の整備を疎かしにてきたつけでもあります。
女性の社会進出が少子化を促進したというよりも、日本の場合、特に男性よりも安価な労働力として位置づけられたことが、よりいっそう社会問題化したのではないか。
安価な労働力が高い男性労働者の賃金伸びを抑えることになった。
産業が国際資本として、世界的競争力を必要としたとき、賃金の安い途上国に進出していき、1億数千万の人口を抱え、産業人口として、世界有数の労働力を維持できていたにも拘らず、価格競争力を失いつつあった日本の産業構造がの問題でもあります。
情報化時代への産業育成を怠った日本では、IT産業の分野への投資の遅れや不十分さなどが重なり、重厚長大産業がいまもって産業の中心になっています。
また第三次産業でも、長い間賃金は低いままで、近年正規社員の比率が急速に低下し、非正規職が殆どを占め、その結果賃金は逆に年収換算で極端に低下しています。
少子化問題といっても、単純に女性だけの問題でも、夫婦間だけの問題でもありません。
女性が社会進出する、すべきである、という考えには賛同されると思いますが、それを可能にする法律的な面だけではなく、社会的な基盤整備をなさないままの掛け声だけでは不幸の連鎖を招くだけです。
===補足===
ヨーロッパ諸国の移民政策を批判されていますが、ヨーロッパ諸国それぞれに移民として移住してくる人々は、旧植民地だった国々からです。勿論移民を受け入れる理由として、労働人口の不足を補う側面も強くあります。これらの人々が労働もせずに、ただ移り住みたいから旧宗主国へ来たわけではありません。
多くが旧宗守国の言葉ができます。当然働くにしても、日本のそれほどには不利にはなりません。
彼らは働いていますし、当然納税者であり、受け入れた以上は国家の保護を受けるのは当然です。
経済的補助があるから、自由な生き方をするのではなく、自由な生き方をしたいがために、その自由ために国家に経済的補助をさせるという権利の考え方であり、納税者としては国家は私たちの権利を保障するためにある、という考え方です。
これは国家観の違いです。
どちらが正しいかではなく、歴史的な経緯の問題です。
国家は国民のためにあるという考え方は、フランス革命をはじめとして、それらを通じて培われたものです。
日本では、このような歴史的な経緯はないので、理解しがたいと思います。
国民国家的な考え方こそ、現代の課題に答えるベストとは言いませんが、ベターな政策だと思います。