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医療・福祉業界の人にお聞きします。
失礼ながら、患者さんが亡くなることに対して慣れましたか?
私は以前福祉業界で勤務してました。そのときに、昨日接してた人が翌日には亡くなったとか結構あり、ショックもうけていました。いつしか人に死に対して恐怖心を覚えることになりました。テレビでも人が死んでるシーンとかを見ることが出来なくなってました。そんな中、祖父が亡くなり、ますます拍車がかかりました。それからまもなく福祉業界の会社からリストラされて退職しました。そうするとそれらは治まりました。
年月も経ち、今は医療現場で勤務しています。また人に死に直面しています。今月も立て続けに患者さんが亡くなり、ショックです。気持ちをどのように切り替えていけばいいのかわかりません。慣れ、仕事なのだからきちんとしないといけない。他の人は慣れてるのか普通にしています。
こういうときはどのように気持ちを切り替えていけばいいですか?
失礼な言い方ですが、慣れなのでしょうか?

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2009-12-14 22:21:49
  • 1

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医療関係者です。

私の一番最初の『人の死』は祖父でした。
人がだんだん人ではくなって行く過程を、成す術がないままその時を待つ恐怖は今でも消えていません。
勿論仕事で人が亡くなっていくことに慣れるわけでもありません。

生を受けて産まれた以上、必ず死は訪れます。
自然の摂理として当然のことで、恐れることではと今は思えます。

ただ、その時を迎えるまでにどれだけその人に安心感を満足感を感じてもらえるのか。。。
それが重要なのではないかと。
その考え方や行為自体、傲慢かつ自己満足なのかもしれませんが、亡くなった後、『可哀相に。寂しくなる』と涙するよりも『精一杯、この世界を満喫できましたか?』と思えるようなサポートをしたいと思っています。

人の死に慣れるわけはありません。
関わりが深ければ深いほど、亡くなった後数年たってもふと思い出すことがあります。

でも医療・福祉関係に勤務する者にとって『気持ちの切り替え』は重要です。
それは日々の勤務でも同じことだと思います。
いくら気にかかる患者さんや利用者さんがいても、勤務が終われば頭を切り替えてプライベートモードにしないことには気が休まりません。

そして人が亡くなった時もいつまでもその人のことを考えるのではなく、病院・施設で私を待ってくれている人のために尽力するのがプロだと思っています。

  • 回答者:匿名^^ (質問から20時間後)
  • 0
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ドクターです。
この問題は研修医だった頃からの解決できない悩みでもあります。
医療の先には人の死が付きまといます。
こんな事を私の立場でお話しすると問題があるでしょうが、
乗り越えるしかないんです・・・

手術をすれば、どんな病気でも完治するというような保証はありません。
必ず病気が完治するという薬が存在しているわけでもありません。

我々、医療に携わる者は患者さんの生きる力があって初めて“生きる為のお手伝い”する事ができる仕事です。

大変酷な言い方ですが、医療現場で患者さんの死に直面していつまでもそれを引きずっていると、次の患者さんの治療ができません。
かと言って、死を軽く見ているわけでは決してありません!!
患者さんが亡くなった時、その原因を追及して新しい治療法に結び付ける事が、我々の仕事であります。

悲しい現実ですが、病院に勤務する事は少なからずとも患者さんの死に対面します。
これを「自分の所為で亡くなってしまった」とか「もう患者さんの死を直視できない」とお悩みになるのでしたら、キツイ言い方ですが、医療の現場から去らねばなりません。

私が医局に入局した時の先輩ドクターからこんな言葉を貰った事があります。
「生きるという事は、必ず死が来るという事だ。その現実を理解できないのなら、医療の現場を去れ!その悲しみを乗り越えて初めて人の生死に向き合えるんだ!その仕事が医療という職場なんだよ。」と・・・

今でも患者さんが亡くなった日は必ず帰宅後に一人で線香を上げてます。
実は先週末に16歳の高校生が癌で亡くなりました。
私の半分も生きていないんです。
今でも涙が溢れます・・・

でも、患者さんは沢山います。
一人でも多くの“命”を救う為にも、悲しみを乗り越えて行かなければなりません。

やっぱり、先輩の言葉は正しいと感じています。

辛い職業ですね。

看護師の皆さんは、ドクターよりも患者さんと接する事が多く、感情移入しやすいと思います。
決して負けないでください。
悲しみを感じるのは人間として当たり前なんですから。
我々はその悲しみをどうしても乗り越えなければ、ならないのです!

最後に「慣れ」ではありませんよ!
「乗り越えなければならないもの」だと、経験から思います。

頑張りましょう!!

  • 回答者:匿名Dr. (質問から34分後)
  • 4
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病院に勤務jしています(療養型病床)。
死にはよく直面し、辛さもあります。
特にこの時期はなくなる方も多く、先月から片手では足りないぐらいの方が亡くなられています・・・
私はいまだに慣れません(まだ勤務して10年ぐらいですが)。ショックです。

業務的なものでは、スタッフ間でデスカンファを行いて『ケアとしてうまくいった点/反省点』などを話しあうようにしています。そのなかで、自然とその人に対する色々な思いをみんな話し、1人で思い詰めないような時間を作っています。
プライベートでも、中のよいスタッフとその方の話を良くするようにしています。残念さや悲しさも当然ありますが、楽しい思い出や良かったこともたくさん出てきて、心が落ち着きます。

個人的には、仲良くさせていただいた患者さんが亡くなられたときは、その日の夜に(夕食のときにでも)その方を考えるようにしています。主に楽しい思い出を思い出しています。
以前、ある患者さんが食事を摂れなくなり、元気がなくなってきたときに食べ物の話しとなり『ラーメンが食べたいわ、さっぱりとしたしょうゆ味の』という事をおっしゃった翌日になくなられました。その日は行きつけのラーメン屋でさっぱり味の醤油ラーメンを食べてその方のことを思っていました。あのときのラーメンの味は忘れられません。

死は誰にでもあることで、避けて通れないものですが、やはりショックです。
でも、1人で思い悩まずに、みんなで話し、気持ちを吐き出したほうが良いと思います。

慣れることはあるかもしれませんが、それは『人が死んでも大丈夫』という個ではないと思っています。いまだに慣れていないので、私も良くわかりませんけど。

亡くなられた方を思い、話してあげるということは、その方が存在していた証であると思います。そうやってその方の存在を関わった人間が証明してあげることは、生きている我々がやらなければならないことだと思います。

  • 回答者:長くてすみません。 (質問から18分後)
  • 2
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看護師です。
はじめて人の死に接した時には泣いてしましました。

しかし
20年以上やってる今
正直、死は日常の一こまにしかすぎず、
業務の一環でしかありません。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4分後)
  • 0
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