すべてのカテゴリ » 知識・教養・学問 » 知識・学問 » 哲学・宗教

質問

終了

次の命題について、皆さん自分の意見を書いてください。

「人間が誰しも執念深い側面がある」

賛成意見、反対意見どちらも歓迎します。
忌憚無き議論をお願いします。

  • 質問者:日本人
  • 質問日時:2009-12-26 21:37:22
  • 1

あくまでも私が思っている意見ということになり、間違っているかもしれませんが
私は、人間は誰しも執念深い側面はあると思います。

なぜそう思うかですが、
・人は、謝罪することを恥ずかしいことだとどこかで思っていてできれば避けたいがゆえに、逆に相手や何か第三者的な対象に否を認めさせ自己正当化したがる。
人はみな、いくら人間ができている人物でも、気の合う相手が好きなように
多かれ少なかれ同意されることを心地よく思うところがどこかにありますよね。
・同意してもらいたい内容ほど、同意がすぐに得られないからされたくなるわけで
そうなると、食い下がって意地になってあちこちで同意者を求めねばならずその作業が、とても長く続きます。
根性を通り超えてこれはもう執念深さに見えてしまいます。

そういうことは一切なく、あっさりと引き際の早い人でも
断崖絶壁や、火山の噴火口に立ち、つきおとされそうになると絶対に素直に落ちません。
こういうのも深層心理の執念深さだと思います。

執念深いという言葉は、なにかこう、おどろおどろしいですが
ある程度の執念や執着が無いと、生きることもあきらめ、がばれない人になってしまうのだと思いますし
少しの執着や執念とは、言い換えれば誰かへの愛情でもあると思います。

過ぎたるはなお及ばざるが如し
過ぎるとしつこく執念深い人になり、なさ過ぎると、冷淡な薄情者なのでしょう。
ちょうど良い執念深さ、言い換えれば愛着心がいいですね。

  • 回答者:ほどほど (質問から46分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

並び替え:

執念深いとは限りのないこと・・・・。

この命題はとうぜんの帰結であり、賛成です。
『愛は限りがないという。憎しみもまた、そうです・・・・。』

人間が感情の生き物である限り、十字架として背負っているものだと思います。

  • 回答者:カンツォーネ (質問から7日後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

同意です。誰でもその人それぞれの価値観や趣味・趣向において、執念深い側面を持っていると思います。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

それは君の事を言うのだと思う。

この回答の満足度
  
回答ありがとうございました。
お礼コメント

回答になっていないため1とします

反対です。
人それぞれで、執念深い人と深くない人がいると思います。
何に対して執念深いかどうかが不明確であれば、何とでもいえると思います。
いま、執念深いものがないといっても、今は、まだそれが、分かってないだけだと言えばそれまでです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から6日後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

次の命題が真であるならば、その対偶も真である。とすると、「執念深くない者は人間の中にはいない」ということになるが、現時点でそれを実証したデータがないので検証不能。
よって、命題は偽である。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

「執念深い」「深くない」の定義(境目)が明確でなければ、議論にならないと思います。

  • 回答者:桃影 (質問から12時間後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

当然ではないでしょうか。
人間生きることにかけては執念深くもなるし、夢の実現に執念を燃やす人もいます。

こと仕事や生きる面については、非常にプラスのことだと思います。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

確かにそのとおりかもしれません。当たっていると思います。
全然執念深さのない人は、いないのかもしれません。
やはり程度の問題や、執念深さのでてしまう分野が、人によって違うのだと思います。執念は生きる気力につながるのかもしれません。

  • 回答者:ふぁい (質問から5時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

ものすごく忘れっぽい人は執念深いとまでいかない人もいそうです。
記憶力がよいとずっと覚えているので執念深いことになってしまいます。

だから、反対かな。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

多い、少ないの差はあるでしょうが、
人間なら皆持っているものだと思います。
それがプラスに働くかマイナスに働くかは、人によるのだと思います。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

人間ですから、多少なりとも「こだわり」というものがあると思います。
何一つにも興味を示さない、なんて人はいないと思います。
それは、国が違っても、文化が違っても、同じことだと思っています。

この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

すべての面において、こだわりがなくなってしまっては、人間ではなくなってしまうと思います。

人により多少はありますが、何らかの執念を持っている部分、ここは譲れないというものがあるはずですよ。

賛成です。

  • 回答者:孔明 (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

それはあると思いますよ。
すべての執着を失ったら生きる屍だと思います。
多くのことに執着しないという人でもおなかはすくし何か食べたいという欲は
あるわけで、それも執念の一つですし・・・。
何かこれだけは譲れないみたいなものも当然あるし、
あってしかるべきとも思いますね。

宗教家など一部執着を絶っているような人達もいますけど、
それは一流のそういう者になりたいという執念からでしょうし。

  • 回答者:とくめい (質問から2時間後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

執念深い側面はあるでしょう。

賛成や反対でなくあると思っています

執念が無ければどんなに楽に生きられるかとも思います
深く思い込んで動かない心があるからこそ.その思いが達成して成長してイケる
ものでもあるので.あることに対しては執念深くていいと思うのです。

すでに同じ事をずっとし続けている人ほど執念深くしているという事に気が付かないで
やっている場合も多いと思いますよ。

  • 回答者:匿名希望 (質問から56分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

そりゃ生きてるんだから、あたりまえ。

  • 回答者:f (質問から34分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

関連する質問・相談

Sooda!からのお知らせ

一覧を見る