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歴史で、日本3大おいえ騒動の中の1つの「伊達騒動」って一体なにがあったのですか?「男がよくておかねもあるのに伊達むつのかみにたかおだゆうとかいう人がほれなかった」という浪曲みたいなフレーズをかすかに記憶しているのです。

あと「楡の木は残った」かなんとかいうドラマが昔あったようです。

  • 質問者:匿名
  • 質問日時:2010-02-04 08:14:08
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江戸初期、仙台藩伊達家に起こったお家騒動。万治3年(1660)藩主伊達綱宗は不行跡のかどで幕府から隠居を命ぜられ、幼少の綱村が家督を相続。その後見役伊達兵部宗勝が家老原田甲斐宗輔らと宗家横領を企てたとして、伊達安芸宗重が幕府に訴えた。寛文11年(1671)大老酒井忠清邸での評定の席で宗重は宗輔に斬られ、宗輔も殺害された。「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」など、歌舞伎・浄瑠璃の題材となった。

  • 回答者:tokumei (質問から12分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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伊達騒動とは、江戸時代初期に仙台伊達藩3代藩主の伊達綱宗が放蕩を理由に強制隠居させられたことを契機として、伊達御一門の伊達兵部宗勝、家老の原田甲斐宗輔一派と、同じく伊達御一門の伊達安芸宗重一派との間で発生した権力争いです。
騒動収拾のため、江戸幕府が伊達藩関係者を召喚した際に、大老酒井忠清邸にて、原田甲斐が伊達安芸を刺し殺したとされる結末からも、従来の歴史解釈では、「原田甲斐は伊達騒動の極悪人」というのが通説となっていたようです。

  • 回答者:匿名 (質問から4時間後)
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