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虐待と躾の境目は何でしょう。
愛情?なんかあいまいな感じですが。

  • 質問者:dynoz
  • 質問日時:2010-04-23 21:52:09
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冷静か否かじゃないでしょうか?
愛情を持った躾は、客観的に自分の行為を見つめることができる冷静さを持っているはずです。
怒りのみで行った行為は、虐待でしかありません。

  • 回答者:自分も反省です (質問から2時間後)
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いろいろな見方があると思いますが、もっともシンプルな意見ではないかと思いました

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親が自分の感情で・・・虐待

親が子供のために・・・躾

  • 回答者:匿名 (質問から7日後)
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愛情は、

愛を持って、アメと鞭を使い分けができる。

子供に傷を作らない、ちゃんとした、賢い叱り方が

できるかできないかだと思います。

  • 回答者:たり (質問から6日後)
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結果が良ければ、躾となります。
悪ければ、虐待になります。

途中経過は、どちらも差がありません。
結果次第だと思います。

私は、息子に体罰をしたことがあります。
「叱る」程度の姿勢では、子どもに見透かされて、効きません。
それで、こちらは怒り始め、ついつい手が出ます。
軽くでは、効きません。
こちらは、更に怒りが高まり、体罰のレベルも上がります。
そのあたりで、息子は、身の危険を感じたでしょうか、態度を改めてきました。
(ここで、もし救急車なら、虐待ですね。)
私と息子の結果は、躾になったと思います。

しかし、体罰を加えたことに、私自身、永年後悔していました。
何かにつけ、幼い息子の痛みに歪んだ顔の表情が、ふと思い出されるのです。

あれから20年ほど経った先日、息子に、後悔しているいることを告げ、謝りました。
「あの頃は、自分の方がどうかしていたから、気にするな。」と応えてくれました。
ありがたかった、です。
やっと、胸を撫で下ろすことが出来ました。

結果もすぐ出るものではないので、本当に、苦労します。

  • 回答者:子どもが生まれると父親も生まれる (質問から5日後)
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自分の感情で叱りつけるのは虐待、子供を思って学ばせようと叱るのは躾。
だと思います。

  • 回答者:匿名 (質問から4日後)
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躾は子供をどのような人間に育てるかと言う目標に計画性を持って段階的に方向付けを行う物で時には痛みを認識させる為に体罰的な事も行う。
一方虐待は、目標も無く場当たり的で感情先行の体罰。
だと考えられます。
大きな違いは、子供成長した時の最終目標の進行計画を立てているか否かではないでしょうか。
例えば何歳までにはお箸の使い方、何歳までには挨拶のしかた、誤り方、人を叩いた時の痛みや、励まし方等

  • 回答者:匿名 (質問から24時間後)
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子どもをストレスの捌け口にすることや正当な理由のない暴力は虐待で、
子どもが悪いことをした際に注意する意味合いですることが躾だと私は思います。
この二つは確かにどこからが境目なのかその基準が曖昧なので断定はできませんので、この分け方はあくまで私の個人的な見解です。

  • 回答者:匿名希望 (質問から19時間後)
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しかるときの親の感情が一定であることです。

  • 回答者:匿名 (質問から17時間後)
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親も人間、ロボットじゃないのでそれは無理だと思います

子供の心に傷が残れば虐待
感謝が残れば躾。

一般的に繰り返し殴られるというのは虐待です。本当の躾の場合殴らなくてもできますから。

  • 回答者:匿名 (質問から14時間後)
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虐待は憎しみです。
躾は愛情です。

  • 回答者:満月 (質問から13時間後)
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こういうものってどうしても曖昧になってしまうと思いますよ。
叱ると怒るが違うように、躾と虐待もまたその判断は難しい。
ただ、一般的に虐待と言われると、過剰な暴力というイメージがある。
何事も過剰なことは問題になる。過剰な愛情も虐待の原因の一つですしね。
その線引きは一般的に見て、行き過ぎている、と思うかどうかでしょう。
例えば、あざなど痕が残るのはやりすぎだろうと思いますね。それが一度や二度ならいいですが、かなりの回数となると、虐待といわざるを得ないでしょう。

  • 回答者:こーそんさん (質問から11時間後)
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十数年前小学校のPTA会長をしていましたが、ある子供たちを見て「親の顔を見てみたい」と思ったことが多々ありました。そうした子供たちは良く言えば自由奔放。悪く言えばワガママしほうだい。
 一体この子らは家庭内でどのように育っているのだろうかと、不安に思える場面に多々遭遇し、その当時、この子らが親になったときにこの親からどんな子供たちが現れるのかと不安を感じていました。躾を受けてこなかった子供たちが続々と親世代になっている今、子供に対して行っていることは虐待でしか無く、躾とは後付けの理由としか思えない。

 今必要なのは親に対する躾(親学)が必要なことと思います。

  • 回答者:不良中年 (質問から5時間後)
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結局回答はいただけてませんね

さかいめはないです。

私のなかでは
理不尽な暴力を伴った躾、それは虐待だと考えてます。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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誰がやっても同じことならしつけ

  • 回答者:匿名 (質問から58分後)
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意味不明

子供が親の言う通に態度を変えることが出来た後に、その親がどういう態度を取るのかによって「虐待」か「躾」かを見分けることができると思います。
「そうだよ。そうなってくれることを望んでいたんだよ」って子供のことを誉めて喜ぶなら躾でしょう。
「ようやく直したのかよ。てこずらせやがって」みたいに尚も子供に憎しみや苦々しい思いをぶつけ続ける親は虐待でしょう。

  • 回答者:匿名 (質問から35分後)
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他人から見て異常な「体罰や言動」は虐待だと思います。

===補足===
私が思う、異常な体罰や言動は
虐待を受けた本人・第三者・医者・警察等がおかしいと思えば虐待の可能性があると
思います。
心や体が傷付いた場合です。


躾の場合は心・体に傷はつきません。

  • 回答者:とくめい (質問から24分後)
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「異常な体罰や言動」かどうかは何を持って判断するのですか

暴力にしても言葉の暴力にしても子供の心が傷つく事をして強制するのが虐待
躾は上のことがない。

  • 回答者:匿名 (質問から19分後)
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傷つけないためには具体的にはどうすれば?

子どものことを『本当に』思っているかどうかだと思います。
虐待をする親は決まって「躾のため」と言いますが
真の意味で子どものためではないですよね。その場の言い訳。

  • 回答者:匿名 (質問から16分後)
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どう考えると「子供のことを思っている」と言えるのでしょう

正当な理由もなく体罰するのは虐待
正当な理由があれば躾

  • 回答者:匿名 (質問から3分後)
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何を持って「正当な理由」と言うのでしょう

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