ある晴れの日,アメリカ・ニューヨークの大通りのサイドウォークを2頭の犬が散歩をしていました。大きい犬と小さい犬。2頭の犬が,まるで競走でもしているように,それでもとても楽しそうに走っていました。この2頭は・・・そう,犬の親子なんです。子犬が母犬にじゃれつくようにしながら,とても幸せそうに走っていました。
――坊や,あんまりはしゃいじゃダメよ
まるで母犬は子犬にそう言っているようでした。
そのときです。何にでも興味を持つ,まだまだとてもヤンチャ坊主の子犬が,大通りの向こうに何かを見つけました。その瞬間,子犬は,すべてのこと――母から教わった,歩くときはよそ見をしてはいけないこと,車は恐ろしいものであること,絶対にサイドウォークから出てはいけないことなど――を忘れてしまいました。高速で走るたくさんの車の向こうに見える「何か」は,子犬にとってそれほど魅力的なものだったのです――
不意に,子犬は弾かれたように大通りの方へ向かって身を躍らせました。
――危ない!!
母犬は考えるよりも早く,子犬めがけて自身の身も躍らせました。
――ビーッ!ビーッ!ビービーッ!!!
母犬は,それがあの恐ろしい,何よりも恐ろしい車のクラクションであることを知っていました。そして,それが自分に向けられたものであるということも知っていました。しかし母犬は,動きを止めることができませんでした。いや,止めようとすら思わなかったのです・・・母犬は,激しい衝撃を全身に受け止めながら,薄れゆく意識の中で子犬を探しました。
ドンという,上空から大きな樽が落下したような音を聞いた子犬は,我に返って立ち止まりました。背後でいったい何が起こったのかはわかりませんでしたが,何か,これ以上ない恐ろしいことが待っているような気配が子犬のすぐ近くまで忍び寄っていました。振り向こうと思っても,すぐにはそうできないほど,それは不吉な音だったのです。それでも意を決した子犬は,勇気を振り絞って後ろを振り返りました。
――ママ!
口から泡のような血を吐きだし,苦しそうに,血でべっとりと汚れた2本の前足で空中の何かを懸命につかもうとしている母犬が,そこに横たわっていました。
――ママ!ママ!ママ!
子犬は懸命に母を呼びました。母犬は,朦朧とする意識の中に愛する子犬の声を聞き,濃い霧の中のようなおぼろげな視界の中に辛うじて子犬の姿を見つけ,少しだけ尾を振りました。ご自慢のフサフサの尻尾も,自身の血で汚れています。
――よかった・・・
子犬の無事を知った母犬は,ようやく全身のあちこちが激しい痛みに覆われていることに気付きました。そして,母犬は目を閉じました。
子犬は泣きながら母犬の元にようやく走り寄りました。
――ママ!ねえ,ボクだよ!起きてよ!目を覚ましてよ!ママ!
子犬は懸命に声を嗄らして母犬を呼び続けました。しかし,母犬の耳にはもうその声は届きませんでした・・・
アメリカ・ニューヨークの,幸せに晴れ上がった休日の朝を,少しだけ悲しみの色を帯びた風が吹き抜けました。鳥の親子の歌声も少しばかり悲しげに聞こえます。
――ねえ,ママ? あの犬のママは死んじゃうの?
――わからないわ。でも,きっと助かる,そう信じましょう。ああ神様!あの犬が,どうか助かりますように!
――神様!どうかあの,犬のママが助かりますように!
アメリカ・ニューヨークのメインストリートは,大きな渋滞が起こっていました。その先頭に,警察や消防の車が数台ずつ見えます。そして,制服を着た人物が何人か,2頭の犬を取り囲むようにしながら何かを話しています。救急隊員が4名,警察官が2名,血を流して横たわった大きいほうの犬を慎重に毛布にくるみ,救急車に運び込みました。小さいほうの犬は,それを見て懸命に吠えています。
犬を乗せた救急車は,その大きな犬のためにサイレンを鳴らしながらゆっくり走り始めました。その後を,小さな犬が懸命に追いかけていきます。一生懸命吠えながら,必死に,もうこれ以上力が出ないと思っても精いっぱい救急車を追いました。
救急車はぐんぐん加速して,ニューヨークの街の彼方に消えていきました。
アメリカ・ニューヨークの動物病院の上空に,鳥の親子の歌声がこだましていました。
――神様!ありがとうございます!!
――神様!警察官の方,救急隊員の方,ほんとうにありがとうございます!
――・・・あれ?坊や,泣いているの?
子鳥はあわてて翼で涙をぬぐいました。
――ふん,ママだって泣いているくせに!
アメリカ・ニューヨークを,幸せの色をいっぱいに含んだ風が通りすぎました。鳥の親子は神様に,そして,ニューヨークの優しい人々に感謝しながらその風にのって飛びたちました。鳥の親子の姿はどんどん小さくなっていきました。
2ヶ月後,母犬の骨折が癒えれば,今度はあの親子が同じ風に吹かれることになるでしょう・・・
ほぼ実話ですが、長文すみませんでした。