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質問

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中2歴史についてです。

江戸時代の身分差別の大部分となった農民…百姓は、土地を持ち年貢を納める本百姓と、土地を持たない水呑百姓に分かれると勉強しました。

今の説明からすると…
水呑百姓は、年貢を納めない、ということなのでしょうか?
だとしたら四公六民なども本百姓しか納めていなかったのでしょうか。

次の定期考査を控えた今、授業内では社会はもうなく先生に聞きに行けるタイミングもなさそうですごく困っています。
部分的でも良いので回答お願い致します。

===補足===
鎖国中、対馬藩が朝鮮と貿易している、とありますが
将軍の代替わりごとに朝鮮通信使が来日していた、というのは幕府に…江戸に行っていたということでしょうか。

幕府とも関わり合っていたということでしょうか。

  • 質問者:milky*
  • 質問日時:2013-02-21 22:53:02
  • 0

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江戸も末期になると支配階級の武士は半分近くなので、税金は農民の義務以上に納めなければならなかったようです。
農民も大地主に小作料として納めなければならないので、間接的に納税しています。
士農工商と呼ばれていますが部落民(ひかせんみん)と呼ばれる人間扱いされていない連中もいました。
犯罪者や病気など人目に触れない生活をしていた連中です。

キリスト教は人類は平等の教えなので、士農工商にそぐわないので禁止されていますが、緩やかな教えや別な宗教の国が許されています。

===補足===
今でも農地法で土地は分割や譲渡ができないので、当時も地主は先祖代々の土地で小作人を使用する形ですし、身分制度や戸籍もしっかりと確立されていたので、しっかりと年貢米を納めていたのでしょう。
農民も寺子屋でしっかりと勉強していたので文字も読み書きでき、数字にも強かったのでしょうね。
武士の方が武道に精進しないで三味線などひいて芸事に熱心だったようです。
支配階級である武士の数が多すぎるのも、階級制度が崩壊した原因でしょうね。

  • 回答者:知られない歴史もあります。 (質問から13時間後)
  • 1
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お礼コメント

なるほど…
年貢というかたちでなくても、税は結果的に納めている訳ですね。

ありがとうございます。

年貢は土地(農地)に対して掛かるものなので当然土地を持たない者には掛かりません。
ただし地主に対して小作料を払うのですから実質的には間接的に払っていることになります。

===補足===
補足について

挑戦通信使は江戸まで行っています。
鎖国というのは外国との関係を全く持たないのではなく。キリスト教の布教を禁止するためスペイン、ポルトガルとの関係を絶ち日本人の渡航や私人の貿易を禁止しているだけです。
幕府は長崎では直接、対馬藩を通じて朝鮮、薩摩藩と琉球経由で中国など、松前藩と蝦夷を通じてロシア、中国などと交易をしています。

  • 回答者:やす (質問から3時間後)
  • 0
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参考になり、満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

補足まで答えていただき、
本当にありがとうございます。
とても分かりやすいです。理解しました。

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