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武者修行最中の宮本武蔵ってどうやって生計を立ててたのでしょうか?
人を斬りまくってるだけじゃ生活出来ないですよね?
バガボンドって漫画を読んでから宮本武蔵に興味を持ったのですが、
漫画だと宿に泊まるシーンもあったりで、どうやって金を工面してるのかわかりません。
まさか実際の武蔵は物乞いや盗賊みたいなことをしてたとか?
その当時の世にも興味があります。
詳しい人いましたら教えてください。

  • 質問者:悩み中
  • 質問日時:2008-10-02 22:42:26
  • 1

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用心棒

今で言う、剣客バイト

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武蔵の時代はまだ戦国時代なので戦があると聞けばその国に赴き雇ってもらう(アルバイトみたいな待遇で)という人がいたと何かで読んだことがあります。推測ですが、戦に参加し敵の首をとっていくらかの褒美を貰って生計を立てていたのではないでしょうか?雇われている間は衣食住に困らないですし、もらった褒美で食いつなぎ次の戦のある国に行く。修行になりますしうまくいけば仕官(正社員に採用)できるので思います。
確か宮本武蔵は大阪夏の陣や島原の乱に参加していますし

  • 回答者:io (質問から2時間後)
  • 0
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かって黒澤明という映画監督が侍の1日を映画化しようと思って
脚本家の橋本忍と資料を探したけど平常時に
朝起きてから寝るまでの1日を記した資料は残されていなかったようで
映画化をあきらめています。「七人の侍」を映画化するに当たって
浪人者はどのような生活をしていたのかで、また図書館で資料を探したそうですが
住居(長屋)などがあれば傘張りなどの内職をして生計をたてていたようです。
宮本武蔵はホームレスのようなものですから事情が違います。
しかも旅をしようとしているのですから・

このような浪人は
道場で試合を申し込みしていたようです。
試合に勝っても負けても、その日の夕食と寝どころを与えられ
翌日朝、朝ごはんを食べたら道場を去っていくというのが礼儀だったようです。
道場を去ったら次の道場を見つけて試合を申し込むといった感じだそうです。

道場が見つからなかったら
寺を見つけて転がり込んで食べさせてもらっていたとか。。

あとは、他の人も書かれているように用心棒ですね。
平手造酒( ひらてみき)はヤクザの用心棒として有名になったくらい。
野武士などから村を守る用心棒を雇うといったことを
映画「七人の侍」は脚本に生かしています。
映画「七人の侍」の中で宮口 精二の演じた役のモデルが
宮本武蔵だと黒澤明が言っています。

尚、宮本武蔵は彫刻の他
水墨画でも優れた作品を残しています。
宿泊費の変わりに絵を置いていったことも多かったのではないかと思います。
確か宮本武蔵の書いた水墨画のうちの一枚は国宝になっているかと思います。
縦長の紙に書かれた木の枝の高いところに止まった鳥は
宮本武蔵の孤高の境地を描いていて凄い絵でした。

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お礼コメント

彫刻は漫画にも出てきたので知ってましたが絵も描かれてたんですか。
詳しくありがとうございました。

不安定な時代なので、用心棒かなと思います。はっきりとした資料はないみたいですけどね

  • 回答者:知識人 (質問から23分後)
  • 0
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用心棒や、戦で生計を立てていたのだと思います。時代的に、宿に泊まる事よりも野宿が多かったと思います。

  • 回答者:Sooda! くん (質問から12分後)
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道場破りとか、有る程度有名になるとスポンサーとかが居たんじゃないかな? 流石に、盗賊や辻斬りはないんじゃない。当時でも逮捕されると思う。

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