ナイロン自体は1935年2月28日、アメリカ・デュポン社のカロザーズがポリマー66(ナイロン)を開発し、歯ブラシとして発売したのは1938年2月24日です。
歯ブラシの始まりは、古代エジプトでの「チュ-スティック 」と、古代インドでお釈迦様(BC5世紀)が広めた「歯木」です。
ともに、ある種の木の枝を切ったもので歯を磨くものです。
どちらも、木の枝の一端を歯で咬んで柔らかくクシャクシャにして、その部分で歯を磨きます。
古代エジプト(BC1500頃)ではチュ-スティック に練り歯磨や粉歯磨をつけて磨きました。
この練り歯磨きは、世界最古のもので、パピルスの中にその処方が書いてあります。
6世紀頃、マホメットも釈迦と同様に「歯木」で磨くことを広めました。
中国では、インドから仏教伝来以来、楊(柳)の木でつくられた楊枝を使って磨いました。唐の時代には、楊枝で歯を磨き、歯磨剤として「塩」を使う風習があったそうです。
また、晩唐には指で歯を擦って磨くことも行われており、敦煌の壁画の中に見受けられます。
ヨーロッパでは、「布」や「海綿」で拭いたり、「木片」や「金属」の鋭利な尖端で、歯と歯の間の掃除を爪楊枝のようにして掃除したようです。
フランス料理のナイフとフォークの中にこの金属製のものが並べられたようです。
日本では仏教伝来と共に、楊枝はインド(歯木)からがアフガン-中国-日本に伝わりました。
日本では歯木のことを「楊枝」、「房楊枝」と呼び、 947-956年頃の平安時代の古文書に一般人の歯磨きのことが記載されています。
鎌倉時代の吉祥山永平寺の口中清浄法(1250年)に歯磨きの正しい仕方が詳しく書かれています。
平安時代から鎌倉時代には、すでに民間で楊枝が使われていました。
平安時代には竹の楊枝もあったようです。また、楊枝と共に爪楊枝は平安末期頃から使われ、歯と歯の間の詰まった食べかすを除去するのに使われました。
江戸時代には、一般庶民に広く普及し、楊枝は全盛期を迎えます。
また、江戸時代には楊枝だけでなく、中国の晩唐でもあったように、指に塩をつけて磨くことも行われていました。
このように、明治初期まで楊枝が使われましたが、次第に「現在の歯ブラシの形に似た歯磨き道具」に移行し始めました。
日本では、明治初期に「楊枝・房楊枝 」に変わり、「クジラ楊枝」に変わりました。
田部其外らが当時、インド(イギリス領)から伝わってきたのを真似て、クジラの髪と馬の毛を合わせてつくったのが歯ブラシの始まりと言われています。
しかし、まだ歯ブラシとは呼ばれずに「クジラ楊枝」と呼ばれ、大阪を中心に販売されました。
明治24年には現在とまったく変わらない形になりましたが、まだ誰も「歯ブラシ」とは呼んではいませんでした。
明治末期頃、やっと歯ブラシと呼ばれるようになりました。
”歯ブラシ”という呼び方がされたのは、ライオン(明治29年)から販売された「ばんざい歯ブラシ」で、旧東京歯科大学の”歯ブラシ研究会”の指導を受け作られたと言われています。
中国では、959年頃、現在と同じ様な形の歯ブラシがお墓の埋葬品から発見されました。柄は象牙製、刷毛は動物の毛です。
道元(曹洞宗)が宋に留学中(1223年)に、牛の角製の「現在と同じ様な歯ブラシ」の柄に馬の毛を植えたものが使われていたと、「正法眼蔵」の中で記述しています。
しかし、宋の時代には一時歯磨きが廃れ、僧侶による楊枝の使用がなかったと、同じく道元が記述しています。
西洋では、17世紀代に「現代と同じ形の歯ブラシ」がつくられました。しかし、18世紀になってもまだまだ歯ブラシは使用されなかったようです。
一般家庭での歯磨道具はもっぱら、木片や布、スポンジが使われて磨いていました。
贅沢品であり一般庶民には高嶺の花で、一部の貴族達や、上流社会で使用されたにすぎなかったようです。