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伊達政宗の軍師、片倉小十郎景綱は秀吉とその配下の諸将の前で、3000騎を集め、鉄砲隊のつるべ撃ちを披露した。その、迫力は諸将の度肝を抜くのに充分でありました。この時、秀吉は小十郎に向かって思わず「片倉の道中活火縄勝手足るべし」と他の大名にも許していない特例許可を思わず与えてしまった。小十郎は、これを活かし鉄砲隊をさらに改良し、大阪夏の陣の時、この鉄砲隊で、大阪方の豪傑を討ち取り政宗を喜ばせました。その豪傑とは、誰だったか思い出せません。ご存知の方、お教え下さい。宜しくお願いします。

  • 質問者:匿名希望
  • 質問日時:2009-07-28 00:12:53
  • 0

回答してくれたみんなへのお礼

ご回答有難うございました。ご回答戴いて思い出しました。本日のベスト回答は、最初にお答え戴いた、匿名希望さんに決定させて戴きました。お二人とも有難うございました。またのご回答お待ちしています。お休みなさい。

後藤又兵衛の事ですね。

===補足===
現在 大河ドラマで直江 兼続がやっていますが
片倉小十郎景綱 彼の功績や人柄を見ていくと
大河ドラマの主役に匹敵すると人物だと私は思います。

  • 回答者:匿名希望 (質問から4分後)
  • 1
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。
お礼コメント

補足有難うございました。
私もそう思います。
今、軍師にスポットが当たって来ているので、そのうち小十郎もスポットが当たる日が来るかもしれませんね。
其の時は、ゆっくり映像で観てみたいと思います。

並び替え:

「後藤基次」です
河内「道明寺の戦い」で徳川方の奥田忠次らを討ち取り奮戦した
しかし伊達政宗軍との乱戦の中で真田信繁軍が霧の発生により行軍に手間取っている間に、片倉重長率いる鉄砲隊に銃撃されました
腰を撃たれ歩行不能となった為、基次は部下に介錯を命じて自刃した
墓もあります

  • 回答者:匿名希望 (質問から11分後)
  • 0
この回答の満足度
  
とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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