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石田三成は、家康に敵対し、奸臣と言われ蔑まれてきたようですね。でも、今回の大河ドラマでは、三成の忠臣ぶりが描かれ、家康は腹黒さが際立っているような感じです。
強いものが勝つ時代だったので、その後の歴史は当然の成り行きとも言えましょうが、それはともかく、皆さんは石田三成についてどう思いますか。イメージとか、好き嫌いとか何でも結構ですので、よろしくお願いします。

善政を行ったことから領民に慕われ、御膝元の彦根では今でも人気があるようです。私個人は、忠義に生き、散っていった忠臣と思っています。

  • 質問者:治部少輔
  • 質問日時:2009-09-15 00:32:05
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太閤さんに対しての忠義心は素晴らしいと思いますし、頭の回転は良かったんだと思います。部下に一人居ると、すごく頼もしいタイプだと思います。

でも、私個人的には、何となく武士としての気合の入った強さみたいなものが感じられません。

勉強ばっかりして成績の良い子が、大人になって社会に出てから、面接で落とされ就職が決まらなかったり、社内での人付き合いが上手く行かなかったり、勝手な判断をして取引先を怒らせるといった事があります。

それと同じで、特にあの時代、頭脳だけの理想男はヌルイでしょうから、諸大名達が言う事を聞かないのも、道理だと思います。
戦や天下の政など大きい事には向いてないようなイメージで、誰かの補佐役が合う人だなぁ。って思います。

部下にするならとても頼もしい人材ですが、融通が利かないので同僚には要らないタイプですし、上司としては、机上の空論を押し付けられそうで疲れそう。偉そうに言う割りには、お金も出さないし付き合いも悪く、つまらない。
だから思いの強い部下や命張ってくれる協力者が少なかったように思います。

旦那としても出世の見込みが無いし…あ、でも、誠実で堅実なので浮気の心配やギャンブルにハマル事は無さそうですよね。
旦那としてはアリかな?と思います。

  • 回答者:茶々 (質問から6時間後)
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三成は忠臣だったというのはわりと昔から言われてたような・・・

個人的には、世渡りの下手な人だったな、という印象ですね。
三成自体は確実に忠臣であったけども、周りはそうでもなかったということを認識していたのかどうか。ただ、彼らをきちんと説得できなかった技量のなさ、というものはあったように感じます。

  • 回答者:人それぞれ (質問から3日後)
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人として好感を持ちます。
自分にとっての損得抜きで忠誠に生きるその姿勢は、忠誠の質にもよりますが
いつの時代にも変わらない大切なエッセンスだとおもます。

今の世に生まれていればその性質が大いに報われたでしょうね。

  • 回答者:匿名  (質問から1日後)
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周りがみんな寝返っても、命をかけて秀吉への忠誠のため戦った三成は、本当にすごいと思います。戦国時代はすでに自分の損得で動く人が多かったらしいのに、それでも忠義を尽くそうという心意気、すばらしいと思います。
大河は見ていませんが、私は三成大好きです。

  • 回答者:匿名 (質問から17時間後)
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戦は勝たなければなりません。勝者は自分の都合の良いように敗者のイメージを
作り上げてしまうからです。ご指摘のとおり、滋賀では今でも忠臣の扱いです。

しかし忠臣が豊臣への恩義に報いる為に孤軍奮闘して散ったというイメージは
勝者である徳川家のその後の治世に悪影響を与えますので、敗者というのは
どうしても奸臣という扱いになってしまうのです。

このような事は洋の東西を問わず、またいつの時代であっても起こって来た事です。

戦をするからには勝たねばなりません。勝ち目の無い戦はしてはいけません。

  • 回答者:匿名ちゃん (質問から14時間後)
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こない和田竜の「のぼうの城」を読みました。
このなかで石田三成のことが描写されてるんですが、これを読んでると、どうにも戦の下手な頑固者として映ってきます。
目立ったところもないし、武将としては忍城攻めの失敗で権威も地に落ちてるようです。
秀吉には可愛がられてるけど、似たようなところがあるから身びいきみたいな感情で可愛がられたんでしょうね。三献の茶のエピソード、まさに秀吉のわらじを温めたというのと似通ってるし。
関西人としては家康なんかよりはずっと親しみをこめてますが、でもどこかで器の小ささみたいなものを感じずにはいられません。

  • 回答者:匿名の彦にゃん (質問から14時間後)
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徳川方がわざと良くないイメージを広めてるのだと思います。
天下を取るタイプではなかったかもしれませんが、愚直で不器用な方だったような気がします。
真面目で忠義に厚いのに、生き方が下手であと一歩何かが足りなかったのかな・・・。
悲しい運命の方ですね。

  • 回答者:残念 (質問から13時間後)
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自分をきちんと理解している、非常に頭の切れる人物だと思います。
自分は光成に関する本をまだ読んだ事がないので、ドラマを見る限りでは豊臣家に対する忠誠心がとても強く、まっすぐな人だと思いました。
ただ頭は切れるけど、策士とまではいかないし、多分不器用なのかもしれませんね・・孤独でかわいそうな気がしました。

この次は光成の本を買ってじっくり読みたいと思っています。

  • 回答者:匿名 (質問から13時間後)
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好きです。
おべっか使いではなく、主君に対し堂々と諫言し、また規律を守る真面目な人柄だったと考えられます。実際、三成が秀吉へ、その考えの間違いを指摘した書状なども残っていますから。

  • 回答者:匿名 (質問から11時間後)
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石田三成、波銭の田沼意次など、調べてみると
一見悪く思われている人々の人の良さに唖然とします。

もちろん、大好きです。
あの心意気にはほんと感心しております。

官僚思考で嫌われ者と思われておりますが
家臣や友達などに命もいらないほど慕われていたことで
ほんとうの心意気ってのが分かります。

家康が戦後三成の屋敷に入ったとき
玄関先はきちんとしていたのに、奥は畳もなく
あばら家同然の屋敷をみて、もらった給金は
すべて、仕事につぎ込む私心のなさを褒めたと聞きました。

生きる理想の人間の一人と言えるでしょう。

  • 回答者:最弱のライダーマン (質問から11時間後)
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今までの時代劇ではすごく狡賢い人に描かれていたことが多く、私もそのイメージで見ていました。
世渡り上手で、出世欲が強い人という印象であまり好きな戦国武将ではなかったです。
天地人を見ていると今までの石田光成のイメージがガラリと変わり好印象です。
忠義者で自分のことより人のこと、自分が悪者になっても信念を貫く。
役の描かれ方によってこうも違うものだと思いました。
反対に家康が今はすごく嫌な奴です。
本当はどんな人なのか、実際に会ってみたいです。

  • 回答者:匿名希望 (質問から9時間後)
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恐らく、豊臣秀吉に可愛がられた事もあり、忠臣だったのだろうね! しかも、有能な官僚タイプ。ただ、太閤検地やら刀狩りやら朝鮮出兵やらの責任者的なイメージもあり、大名や庶民には、受けが悪かったと思う。私が、当時に生きていたら、特別応援したいと思うタイプの人間ではなかったと思う。

(どうでも良いことだが、どうせ天下分け目の戦いをするのなら、秀頼が元服するまで待って、秀頼を総大将にして臨むべきだった。上杉家は滅ぼされた後になるかも知れないが、大して恩も義理もない、こずるい官僚が事実上の総大将では、命を掛けてまで戦うのがアホらしくなると言うものである。)

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ある意味で不器用な人?だったのでしょうね。忠義者で真面目な人だったと思います。
奸臣等々は、世の習いで勝った側が自分の正しさをより強調するために言いふらしたり、書物として残したためだと思います。この辺は良くあることだと思います。
「天・地・人」が彼の素晴らしさを描いてくれてこれを機会に見直しや彼のファンが増えてくれる事を望んでいます。

  • 回答者:歴女 (質問から3時間後)
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不器用な人の印象があります。
私心無き忠義者である反面、融通がきかず諸大名から煙たがれた感じです。

ただこんな「筋」を通す忠義者は好きですけどね。

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私は石田三成大好きです。
はじめて経理のような仕事をした人としても知られ、頭がよかったこと+
正義感の強さで善政が行えたと思います。
豊臣秀吉の死後、他の大名が徳川に寝返っても
石田三成は忠誠心を貫き通しましたが、もう少し器用に立ち回ったらという部分が
多いですが、ある意味かっこいいと思いました。
いままで反逆者として悪者にかかれてきましたが、司馬遼太郎の関が原を
読んで、石田三成の正義感に強く打たれました。

  • 回答者:匿名 (質問から27分後)
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生まれた時代が早すぎたのだと思います。
戦で領地を切り取ってきた武将から嫌われたのが最大の
ミスです。
戦国の世が終わってからで生まれていれば、善政を行った
人としてあがめられる事になったと思います。

  • 回答者:トクメイ (質問から14分後)
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善政を行ったことから領民に慕われ、御膝元の彦根では今でも人気があるようです。私個人は、忠義に生き、散っていった忠臣と思っています。
      ↓
その通りだと私も思います。ただ関ヶ原の戦いで勝つ算段の甘さ、勝ったとしても、その後、どうするつもりだったのか?

という事を考えると、逆に家康に手玉に取られたとも言えます。

あまりにも主君に忠誠をつくしすぎた人と思います。

しかし私はそんな人が好きです。

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