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東京って「橋」がつく地名が多いですよね。きっと元々本当にその名前の橋があったんですよね?新橋、日本橋、竹橋、水道橋・・・一体いくつ橋のつく地名ってあるんですか?

  • 質問者:Cute
  • 質問日時:2009-03-22 00:04:43
  • 4

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江戸初期は湿地地帯であり、河川、堀は重要な交通手段であり。江戸の治安確保の為、橋を作り、長州、薩摩郡が攻めて来た時、橋を壊し、攻撃を妨害するためではないでしょうか。

===補足===
すいません。地方在住で東京の橋の数は分かりません。①新橋;本社があります。②水道橋:若い時、学会に出たことあり、③日本橋;行ってみたが、橋が無かった。位の思い出です。

  • 回答者:橋にも棒にも (質問から7日後)
  • 3
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言われてみれば、気にはなるものの
いくつあるか、数えたことはありませんでした。

ちなみに、竹橋(東京メトロ東西線:千代田区一ツ橋)と
水道橋(都営地下鉄三田線:文京区後楽、JR中央線:千代田区三崎町)は
駅名にあり同名の橋も存在しますが、正式な地名ではありません。
同様のものに
赤羽橋(都営地下鉄大江戸線:港区東麻布)
曙橋(都営地下鉄新宿線:新宿区住吉)
業平橋(東武伊勢崎線:墨田区押上)などがあります。

そこで本題、
東京都全域で○○橋の表記の地名は以下のようになります。

千代田区:飯田橋、一ツ橋
中央区:京橋、日本橋(日本橋大伝馬町、日本橋蛎殻町、日本橋兜町、日本橋茅場町、日本橋小網町、日本橋小伝馬町、日本橋小舟町、日本橋富沢町、日本橋中洲、日本橋人形町、日本橋箱崎町、日本橋浜町、日本橋馬喰町、日本橋久松町、日本橋堀留町、日本橋本石町、日本橋本町、日本橋室町、日本橋横山町)、東日本橋
港区:新橋、西新橋、東新橋
台東区:浅草橋、柳橋
墨田区:吾妻橋、江東橋
江東区:扇橋、新大橋、高橋
目黒区:大橋
世田谷区:船橋
板橋区:板橋、上板橋、中板橋
青梅市:藤橋
東大和市:奈良橋
西多摩郡瑞穂町:長岡藤橋

  • 回答者:気になる姫 (質問から16時間後)
  • 15
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東京は水郷地帯ではありませんでした。江戸時代に東京の水不足を補うために玉川上水が作られましたし、水上交通のために隅田川や荒川が人工的に作られました。今残る橋の地名は江戸城の堀や川にかかってた橋の名残です。

  • 回答者:● (質問から14時間後)
  • 5
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江戸時代前は、湿地帯が多いところだったようです。

埋め立て工事をして湿地を減らしていったようですね。

川もたくさんあって、橋がたくさん掛けられていたなごり
なのでしょうけれど、たくさんありますよね。

今までなかったものでは、「京橋」があったと思います。

  • 回答者:匿ちゃん (質問から13時間後)
  • 2
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無数にあります
江戸時代などは結構治水工事をしていましたからね
ただ今は陸地になっている例えば靖国神社辺りは江戸時代海でしたからね
そこを埋め立てたのは江戸の頃です
そしてその靖国神社の近くに竹橋がありますし、江戸城を作った時に埋め立てたり、堀を作り、そこに橋をかけたりしたりしたようです
東京になる前は袋と呼ばれた沼地やため池が多く存在したようで、地名だけが残っているケースも多いです
山王溜池と呼ばれる駅周辺も昔は本当にため池が多くあったそうで、名前だけが残っていますし、池袋も沼や池が多かったから池袋と言う地名が残ったそうです
前置きが長くなりましたが、江戸の頃川を使って、船を運航して、秩父や今の埼玉県から、モノを運搬した事実があります
物流の流として、昔は川が有効活用されていました
ですから、川があれば、向こう岸に渡るのに渡し船か橋を使うしかなく、よって橋が多くかけられました
戦後東京オリンピックの時に多くの川に蓋をして、道路になってしまい、地名だけが残るようになりましたが、板橋は今でもコンクリートの橋が残っていますね
隣が国道17号線で道幅を広げる工事をしたり、板の橋だから、架け替えの必要などもあり、コンクリートにしてしまったようですが、篤姫の時代には本当に板の橋だったそうですよ
まあ明治以降川に生活排水が流れ、異臭がすると言う苦情も増えたし、道路拡張の必要もあり、川に蓋をして、道路にしてしまったという所も多いようです

数は数え切れなかったので、勘違い回答になってしまった事ご容赦下さい
また余談ですが、富士山の見えるポイントは今でも地名だけですが、富士見町やら、富士見坂などと言う名前で地名がついています
今見えるのはビルの外壁だけですけどね
板橋の橋の近くにも富士見町と言う地名があり、本当に昔は富士山が見れたようです

  • 回答者:匿名希望 (質問から12時間後)
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そうです、今も残っている場所もありますが、昔は沢山の箸がありました。
大阪も一緒ですね!
水利(物資の運搬)の面と、町の作り方、河口を埋め立ててって言う成り立ちが判りますよね!

  • 回答者:鈴鹿の風 (質問から9時間後)
  • 3
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昔江戸と呼ばれた時代、戦国時代末期江戸城付近は干潟で、江戸川、荒川等の河口でもありました。
徳川家康が江戸城に徳川幕府を開き、急速に整備され掘や水路をつくり、橋がたくさん存在しました。
人口増加に伴い掘や水路も埋め立てられ地名に残ったって本で読みました。

数は大きい地名でしか残ってないので数えられないのが現状だと思う。

日本橋や新橋、板橋等は有名ですがそれ以外は解りません。

  • 回答者:街角の電気屋さん (質問から7時間後)
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東京は江戸時代には水郷地帯だったので相当な橋があったはず。橋のつく地名の多くが実際に橋のあったところだと思われます。
いくつ橋のつく地名があるかは数えるとキリがなさそうなのでもう寝ます。すみません。

  • 回答者:深川・品川は今も橋だらけ (質問から6時間後)
  • 2
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東京では昭和30年代に川だった所がどんどん暗渠(あんきょ=地中に埋設された河川や水路のこと)化されことにより、地上からは川が見えず、地名だけがその面影を残していることが多いこともその一因です。

  • 回答者:匿名 (質問から2時間後)
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なくなった橋の名前が多いですが、地名というか、交差点名とかも入れると、増えてますので、、、
足立から、五十音順番で、最後が橋限定で 、地名限定で、交差点、駅名とか無視で
板橋区板橋、上板橋、中板橋、江東区扇橋、新大橋、高橋、墨田区吾妻橋、江東橋、
台東区浅草橋、柳橋、中央区京橋、日本橋および日本橋xx町合計20、東日本橋、
千代田区飯田橋、一ツ橋、港区新橋、東新橋、西新橋、目黒区大橋、
という結果に、、、数え間違いなければ38ということに、、、
下町のまったいらで、目印が何もなく、仕方なしにつけた感があふれまくり、、、
世田谷など、起伏が多いところは、岡、山、台、などが終わりにくることが多いです
交差点汐先橋とか入れるときりがないので、、、今回はこれにてごめん

  • 回答者:みか (質問から2時間後)
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いくつあるのかはわかりませんが
間違いなく昔橋があったことを意味しています。

  • 回答者:匿名希望 (質問から3分後)
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とても参考になり、非常に満足しました。回答ありがとうございました。

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