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ONは常にお互いを刺激し合い、切磋琢磨したライバルといえると思います。王といえば長嶋がいて、長嶋といえば王がいるという関係ではなかったかと思います。

(1)清原も西武では3番・4番を打った秋山選手がいます。AK砲という名コンビで数々のホームラン・ヒットを量産しました。

(2)一方で、清原の場合は高校時代から桑田投手とともに甲子園で戦ってきました。ドラフトでは悲運もありましたが、日本シリーズでは名場面もありましたし、巨人では共に戦い、今年2人とも引退しました。

(3)それから、平成の名勝負と言われる野茂投手あるいは伊良部投手も好敵手だったと思います。三振かホームランというのが、彼らの勝負に似合う感じです。パを代表する2人の投手との対決も見ごたえがあった勝負だと思います。

きのうも引退番組がありましたが、私は清原には3つの側面でライバル・好敵手が存在していたと思いますが、この中で一番ライバルとしてイメージが強いですか。

  • 質問者:悩み中
  • 質問日時:2008-10-04 02:40:31
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一番ライバルとしてのイメージが強いのは桑田投手です。
やはりPL学園時代からの仲間でありライバルですよね。
ライバルという名の絆で繋がっていると思います。

野茂投手との名勝負も忘れられません。
ともに真っ向から戦うことのできた素晴らしいライバルだと思います。

素晴らしい選手が次々と引退していきますね。
時代の流れなので仕方のないことですが・・・

  • 回答者:お助けマン (質問から13分後)
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ご回答ありがとうございます。野茂投手と桑田投手が今年引退し、ONがいなくなったときのような寂しさを感じます。清原選手も2人の盟友が去ったことで、精神的な支柱を失い引退を決めた部分はあるのかもしれません。

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やはり桑田投手だと思います。
高校時代から切磋琢磨しながら、同じ釜の飯を食って成長してきた。
それは、桑田が巨人にドラフト1位で入団したことによって、よりいっそうあいつには負けられないという意識が強くなったと僕は思います。

  • 回答者:ドアラ (質問から7日後)
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ご回答ありがとうございます。桑田・巨人に対する反骨心は相当なものがあったと思います。

桑田です。お互いアクシデントに遭いながらも切磋琢磨し、強い絆のある男の友情。
1987年日本シリーズ第6戦、9回表2死 あと一人で日本一のところで清原選手の涙が止まらない・・・。
1994年日本シリーズ第1戦でも桑田投手からHRを打っている。
95年、三塁線の小フライを捕球する際にダイビングキャッチで「右ひじ内側側副じん帯断裂」し、米国で手術・リハビリをし97年に復帰。その間も清原と連絡とりあって励みになっていたと思う。そのお返しが清原選手の左膝手術・リハビリにも繋がっている。

  • 回答者:知識人 (質問から7日後)
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ご回答ありがとうございます。桑田とはいろいろ因縁のある試合が多いですね。

やはり、強い対戦相手によって強くなるのだろうと思います。野茂や伊良部がやはり最高のライバルでしょう。でもその当時のパリーグはすごかったですね。また、そんな時代が来ると楽しいな。

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ご回答ありがとうございます。野茂・伊良部とは名勝負を繰り広げました。そうですね、名勝負がなくなりましたね。最近はいきなりアメリカに行きたいという選手もいるし、有力選手は海外に流出するので、名勝負が生まれにくいのかもしれません。そういう時代がまた来るといいですね。

桑田投手かな。長い歴史があるので。

  • 回答者:お助けマン (質問から7日後)
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ご回答ありがとうございます。高校からですからね。引退も同じ年になりました。

野茂投手です。でも、個人的には、イチローVs松坂(特に初対戦)の方が興奮しました。

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ご回答ありがとうございます。野茂さんですね。

清原の最大のライバルは、実は王監督だったと思っています。
清原は、巨人への入団を希望し、それが実現すると信じていたら、当時の巨人監督王さんが桑田を指名しました。
このとき以来打倒巨人、打倒王に燃え、日本シリーズで、勝ったときに涙を見せました。
先日の清原の引退式では、王さんから花束を貰って、そのとき王さんから、「今度生まれ変わったら、一緒のチームでホームラン競争をしようね」と言われたようです。
多分、清原にとっては一生忘れられない言葉、感動を憶えたものと思います。

  • 回答者:ワンワン (質問から2日後)
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ご回答ありがとうございます。ドラフトでの屈辱をバネにした部分はありますね。でも、王さんも面と向かって言えることではないが、心の中で清原に対して申し訳ないというような気持ちはずっと持ち続けていたのかもしれません。それが「生まれ変わったら・・・・」の言葉になったのだと思います。試合前に王さんが花束を渡したときにどういう話をしたのかは気になってはいましたが、粋な言葉だと思います。

やはり桑田ですね。
桑田がいたから、清原はがんばれたんだと思います。

  • 回答者:Sooda! ちゃん (質問から17時間後)
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ご回答ありがとうございます。2人にはいろいろなことがあったので、距離があったこともありましたが、お互いの存在ががんばる力になった部分はあったと思います。

ごめんなさい。
清原の最大のライバルは
落合だったと
個人的には思っています。

  • 回答者:hen (質問から13時間後)
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ご回答ありがとうございます。落合ですね。

(2)の桑田投手だと思います。

あのドラフトで、今の清原があるように思います。

  • 回答者:respondent (質問から10時間後)
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ご回答ありがとうございます。一番身内な感じのライバルかと思います。

ライオンズファンです。

1)については、打順やチーム内での役割が異なったので、「ライバル」というのは少し違うように思います。
2)は、確かにライバルだったのかもしれませんが、直接対決を見る機会があまりなかったので、ちょっとライバルだったというイメージは薄いですね

やはり、3)の伊良部や野茂との対決が、いつも見応えがありました。
野茂がフォークを一切使わず、常に直球勝負していた姿が印象深かったですね。

  • 回答者:ジャングル大帝 (質問から6時間後)
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ご回答ありがとうございます。AKはかつてのONと同じく背番号も1と3。確かに、ONのときは日本のプロ野球の象徴で、そのころと比べると役割は違いましたが、2人をONに重ね合わせたファンも多いのではないでしょうか。ただ、巨人ではないのでテレビ中継もオールスターや日本シリーズくらいしかなかった時代なので、そこまでの注目がなかったのは残念です。秋山氏は次期監督が濃厚であることは地元では毎日のように報道されていますが、あれだけの実績を残しながら知名度は全国的には薄れているのも残念です。監督になったら再び輝きを放つと思います。

2の桑田投手だと思います。

  • 回答者:知識人 (質問から3時間後)
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ご回答ありがとうございます。桑田投手ですね。

2です。
PL→運命のドラフト→日本シリーズ対決→同じ巨人の選手→引退
こんなにくっついたり離れたりの関係なんですね。

  • 回答者:匿名希望 (質問から2時間後)
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ご回答ありがとうございます。お互いいろんな経緯を経て、いっしょになったり離れたり、でもプロ野球生活はピタリと同じ23年ですね。桑田の引退も清原に影響した部分はありますね。

王と長嶋は良いライバルなのかというと疑問を持っている一人です。
王はあれだけの実績で長嶋をはるかに超えていました。
しかし巨人では給料などは長嶋を超えてはいけないと不文律があり、相当なストレスがあったと思います。 仲のよさそうなポーズはしていますが、仲が良いとは思いません。
しかし桑田の話を何回か聞く機会がありましたが、本当にすがすがしい間柄でうらやましい限りですね。
これからも球界の指導者になって、盛り上げてほしいです。

  • 回答者:ソーダくん (質問から33分後)
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ご回答ありがとうございます。桑田ですね。

(3) ですね。 やはり野茂、伊良部と言った豪腕が好敵手で、やるか やられるかの真剣勝負 常にドキドキして見ていました。

  • 回答者:respondent (質問から16分後)
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ご回答ありがとうございます。野茂と伊良部ですね。特に近鉄時代の野茂は独特のトルネード投法で、非常に重そうなストレートでしたが、まさに三振かホームランの対決でした。150号が野茂だったと思います。

でも、今思うとテレビ埼玉は時々放送していたのかもしれませんが、CSなどない当時は日本シリーズやオールスター、あるいはスポーツニュースでの記憶でしかないのはちょっと残念です。今となっては、もっと気力・体力の充実したころの清原をもっと見ておきたかったですね。

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