私の子どもの頃は砂糖を入れる家が多かったと記憶しています。
日本はさとうきびが殆ど取れません。台湾を植民地にしてやっと庶民にも甘いものが口に入るようになりました。しかし、それも束の間、戦争に突入、戦局が厳しくなると砂糖は配給になり、砂糖欠乏状態になります。
戦後暫くは日本は戦争の賠償金支払いの為輸入を制限、砂糖も極力輸入を制限し代替甘味料で凌ぎます。少しずつ砂糖を輸入出来る時代がきて庶民にも手が届くようになると、長い間欠乏だったのを取り返すかのように庶民は砂糖をとり始めます。
その1つの方法が「麦茶に砂糖」です。
これは戦中後半から戦後の食糧難の期間に失った体力を回復させるために
自然とエネルギー補給をしうよと身体が欲したものではないかと言われています。(あくまで仮説)
今でも夏体力を消耗するような仕事、例えば農家が多い地方ではこの習慣が残っているそうです。