物理学における最大の問題ですね。(原則、因果応報[因果律]を否定すると物理学自体の否定に繋がる危険があるので、本質的には肯定のはずですが。)
彼の有名なアインシュタインは、”神はサイコロを振らない”と言いました。
(即ち全ての事象はその原因があり、原因[因]が物理法則[理]よって導かれた結果[果]を一義的に決定して、そこに偶然・例外の入る余地はない)
因果応報を信じると全ての事象は既に決定事項で、如何足掻こうが未来は変えられないという結論を導くことになります。
(夢に向かって努力をして成功するのも、そうでないのも、既に生まれる遥か以前から決まっていたことであり、そこに自己の意志は全く以て関与していない。[努力しようとする意志もさまざまな因による果である])
今回のご相談の内容からすると、上記回答は的外れなような気がしますが、一応ご参考に。
後少なくとも、現実社会で経験する事柄はまず因果応報(必然の結果)であることは間違いないと思います。よくニュース等で”理由無き犯行”、”偶然の事故”とか言われますが、単に報道陣が理由・原因を理解できないと言うだけであって、全てに明確な理由及び原因があります。
因果応報というのは、善いことをしたから神の恵みが、悪いことをしたから天罰がと言うような倫理的なものではなく、善意・悪意の有無によらず、その時の状況に依存した貴方の取った行動に対する必然の結果が生じると言うことです。よって行動する際には、目先のことだけでなく、周り(相手の考えや思惑)を含め自分のとる行動がどのような結果をもたらすかをよく考えて行動の選択をすべきと言うことです。
また、世間には自分は不幸だという方がいますが、因果応報の考えからすると、ご本人が望んでいなくても自ら不幸になる行動を選択し不幸になっているということになります。(仏陀の教えでは、地獄の亡者は、悪いことをしたから落とされるのではなく、望む望まないは別として自ら赴くとの事のはずです)ここで、何故望みもしない道を選択するかは、単に無知であるのと行き先をよく確認せずその場その場での選択を行っているからとの教えです。
不幸から脱出したいのなら、自分が不幸だと諦め他者の援助を請うのではなく、何故不幸になったかを客観的に反省(原因の究明)をし、その対策を行う事です。
(時代と共に変遷するとと共に地域によっても異なりますが)世の中の理を知ることが、賢い世渡りをする適正な方法です。物理学上の因果応報は、不動の物理法則というルールに従い原因と結果が結びつきますが、一般生活で言われる因果応報では、人それぞれが持つ多種多様なルールに基づき原因と結果が結びつきます。よって、行動の選択の際には、自分のもつルールのみに束縛されず、可能な限り多くの関係者の持つルールも考慮する必要があります。